「2011.03.11-03.21」
写真展「見えない放射能=日常を射る」
2012.04.07-04.15
JAZZ喫茶 フリーランス(小樽)
2012.04.07-04.15
JAZZ喫茶 フリーランス(小樽)
いつもその辺の身近な風景を、
ほとんど無感情ともいえる態度で淡々と撮ろうとしているが、
この時ばかりはそうではなくて、震災当夜から、東京を離れる日までの10日間、
心身ともに具合も悪いし、写真なんて撮りたい気分でもなかったが(でも多分半分は嘘)、
それでも「日常」を淡々と撮ろうと自分を奮い立たせていたような記憶がある。
別に誰に求められているというわけはないが、
そんな様々な感情が押し込められているという意味で「異例」なものだと思っていて、
自分の写真に関する考え方も変えたものとなっています。
震災から1年と少し経った2012年4月に、
「見えない放射能=日常を射る」というテーマのグループ展に参加する機会があり、
その際にも色々なことを考えた。
特に原発推進派の方にはまた狂人扱いされるだろうけど、
この作中の高感度フィルムのような粗い粒子は、
当時東京にも降り注いでいたであろう、
自分の頭の中にはっきりイメージされた「放射性物質」を表したつもりである。
ここまで強い感情というのは、もう作品には出てこないかもしれないけど、
自己の人生観、写真に関する考え方が一変した事件として、
一応説明しておきたいと思いました。