2008年版の追記。

以上は4年ほど前に記した文章であるが、それから色々な変化があった。
一つは道外に転居して、撮影のフィールドが広がったこと(現在は札幌に戻っている)。
もう一つは撮影手段がデジタルカメラに完全に代替されたことである。

前の文章を書いた少し後に、栃木県は那須塩原に転居することになった。
その後、福島県いわき市との間をしばらく行ったり来たり。最終的に東京都内で生活することになった。
いずれも仕事によるものだったが、休日にはその時に住んでいた場所を中心に様々な場所へ出かけた。
その内訳はこのサイトで多数紹介しているが、これまで見慣れない、しかしこれまで見たいと思っていた風景
(大都会の風景や、時代に取り残されたような街並みなど)ばかりで、これまで以上に熱を入れて撮り歩くようになった。

とりわけ短期間ながら東京で暮らし、色々な街を撮り歩いたことは(何の役にも立たないが)自分の財産と言ってもよく、
撮りたいものがはっきりし、深く掘り下げることになったと思う。
それとともに、北海道、札幌の風景を再認識し、また新たに撮り進めているところだが、いずれはまた本州、特に東京の街を撮りにいきたいと思っている。
前に東京を離れた時は大震災の混乱の中で、具体的に行こうと計画していた街がそのまま残ったままである。

その一方で、これまで撮ってきたものと、一貫しているというか、進歩が無いというのは、それはそれで興味深いものである。

もう一つの変化は撮影から発表までのフローがデジタル化されたということである。
最終的にプリントで出力して発表というのはアナログ的というべきかもしれないが。
これまでフィルムカメラで撮影、フィルム現像、暗室で現像という流れだったのが、
デジタルカメラで撮影、コンピュータで編集、インクジェットプリンタで出力、もしくはWeb等で発表という流れに、
段階を踏まずに一度に変更した。

今のデジタル化の流れでいえば、何も特筆することではないが、
当時の心情としてはデジタルカメラの描写が好きになれず、また今ほどの画像編集や印刷の技術が無いこともあって、
これまでのような暗室で焼いたプリントの質が出せないことは明らかで(究極的にはどんなに技術が進歩しても暗室で焼いたようにはならない気もするが)、
周りに写真を焼けるような環境は存在せず、仕事でデジタルカメラとコンピュータを使っていたという事情もあり、仕方なくデジタル化したような記憶がある。
また、暗室でプリントしていたのを、ラボなどに外注するという考えもなく、やはり自分の手で色々調整したいと思っていた。
それでも写真を撮らないという選択肢は無く(学生の頃はフィルムが無くなったら写真など撮れないと思っていた)、
半ば仕方なくデジタルカメラを持って街に出たのだが、すぐにそのメリットに浴することになった。

これまでと一番変わった事といえば、撮影枚数が格段に増えた事。
無限というわけではないが、一般的なメモリカードなら一枚で数百枚撮影することができる。
別にフィルムでも数百枚撮る事は可能ではあるが、貧乏学生には酷なことである。
撮って終わりというわけにもいかず、現像や焼き付けの手間やコストも考えると、どうしても一枚一枚慎重にということになる。

もちろん、その方が写真の質が上がるという考え方もあるし、デジタルカメラで一枚の価値が低くなるという指摘もよくされることではあるが、
やはり写真はある程度量を撮らないと始まらないと思っている。
そう考えたのは、実は割と最近のことで、森山大道氏が言う「量に勝る質は無し」という事が、今になってやっと実感したというところである。
同じような被写体を露出を変えながら何枚も撮るということもあるが、やはり以前より撮りたい被写体が増えたということが大きいと思う。
東京にいた頃は一日10数キロ歩くことも苦では無かった。
フィルムカメラを使っていたころは一日フィルム2,3本せいぜい100枚くらいだったのが、今では300〜500枚。
データの整理が大変といえば大変ではあるが、撮り方にも若干の変化があり、量的な面で写真の幅が広がったというのは確かにある。

また、フィルムを使っていた頃も撮影フィルムに通し番号をつけて、
それぞれのプリントにもIDをつけて管理していたものだが、手作業でやるのもなかなか面倒なもので、
その点デジタルデータをコンピュータで一元管理できるというのも、大変助かっている。

また長々と書いてしまったが、この4年間で色々な風景をそれなりの量で撮り歩くことで、写真の本質的なことに少しだけ近づけたような気がする。

とはいえ、基本的な事はそのままで、きっと次の休みも札幌のどこかを歩き回っているのだろう。

(12.03.05記)