「写真都市」へ (2008.03~2012.03)

 

自分が「都市」というものに触れたのはいつだろうか。
生まれてから6歳までの家は、西線16条電停近くのマンションであった。
自宅と周囲のいくつかの児童公園、それから数百メートル東の幼稚園が世界の殆どの構成だったが、
その他にも路面電車や、時には自転車で、大通まで出かけたことをよく覚えている。

その後、南区の郊外住宅地に引っ越してきてからの記憶より、その頃に歩いた街並みのほうが、妙に鮮明な記憶となっていて、
今でもその界隈を歩くと、何とも言えない身体へうまく合致するもの(つまりは懐かしさ?)を感じることができる。
それから少し年数が流れ、小学生高学年~中学生くらいにかけて、再び大通界隈を歩くようになる。
狸小路あたりの風情が好きだった。

その辺りから数回街中を散歩するようになった。
エリアは大通を基点に桑園、苗穂方面、時には琴似、新札幌あたりだったと思う。
そして高校入学を機に、たまたま家にカメラがあるという理由のみで、取り立てて理由もないまま写真部に入部。
写真に出会うことになる。

現在、写真で都市を捉えようとする理由の一つに、幼少時からの記憶に基づくものがあると思う。

さて、高校に入って写真を始めたわけだが、すぐには都市の撮影には結びつかない。
部活動の内容から動物や人物など、いかにも「コンテスト受け」する写真を、何の疑問を持たずに良しとして、そういう写真を中心に撮っていたので(実際コンテストの成績はあまりよくなく、それがあまりにも狭小な考えであることに後に気付くが)、
たまの散歩にもとりあえずカメラは持っていくが、そこまで意識してシャッターを落とすということはなかった。

その頃の行動範囲は少し広がって、地下鉄とバスを用いて、市内各地色々なところを巡った
(当時民営移管中だった市営バス路線を走破するという目標があった。すぐに飽きてしまったが。)。
印象に残っているのは、厚別山本のポンプ場と、まだ造成工事中だったモエレ沼公園。

その頃の写真はあくまでも記録を主体としたもので、当時手元にデジタルカメラがあったら、迷わずそっちを使っていたと思う。
実際モノクロフィルムとカラーフィルムの割合はほぼ同率であった。
しかし、当時のネガを見て面白いのは、現在の被写体のコードとあまり大きな変化は無く、
今思えば、広角レンズ・横位置中心というスタイルも、そういう性格から成立したのかなと感じることがある。
それでも高校時代も、そこまでシャッターを切ることもなく、ろくに技術も身についてはいなかった。
その頃でもまだ「都市写真」への意識はあまり無かったことになる。

大学に入ってからも何となく惰性で写真部を選択。
実を言えば、そこまで写真に拘る理由もなかった。
それでもせっかく写真を続けるわけだし、他の人よりは少しは経験があったわけで、
(大変失礼な話だが、当時いた先輩達より知識はあった)、もうちょっと腰を入れて勉強してみようと思った。
恥ずかしい話だが、それくらいまで被写界深度の何たるかもわからなかったし、
絞り優先オートも使ったことが無かった(今でもマニュアル露出はあまりできない)。
印画紙も自分で買わなければならなくなったので(それまでは部の予算で購入していた)、
安くない印画紙をできるだけ失敗しないように、プリントにも多少は気をつけるようになった。

技術的なことは、その後も現在でも色々試行錯誤が続くが、それはもう省略することとして、写真史というか、
いわゆる「写真家」はどんな作品を残してきたのかということに、ようやく興味を持つようになって、
大学の図書館に収められている写真集などを借りるようにした。

何の書籍だったかは忘れたが、そこに収められていた「森山大道」という写真家の作品を見て、何とも言い得ぬ深い衝撃を受けた。
それは確か路上のアスファルトとか、フェンス越しの風景だったと思うが、その画面から受けた衝撃は今でも説明不可能なものがある。
そこで、初めて「写真」と「都市」が明確に結びついたような気がするし、
モノクローム写真の持つ、格好よさ、意味の深さのようなものを深く感じるようになった。
その本当の理由は今尚よくわからないが、モノクローム写真によって普段見慣れた風景の、
イメージがどこか遠くへ吹き飛ばされたような混乱が、そうさせているのではないかと思っている。

そして何よりも決定的だったのが、写真集「新宿」。
これも詳述が難しいのだが、もう、これだ、と。
自分もこれをやるしかないと、根拠のない思い込みのようなものをずっと抱くようになる。

しかしせっかくやるのなら、自分はこの生まれ育ちずっと眺めてきた札幌の風景にしようと思い立ち、
現在の「写真都市」というコンセプトが成立した。
2004年の秋頃だったと思う。

ひとつの面白い現象がある。
毎年の新入生の多くははじめ「何を撮っていいのか分らない」ということを言う。
何とも珍妙な問いだなぁと思いながら、1本をフィルムを渡し、しばらく経ってみると、
そこには身近な路地や町の風景が必ず収められていることが多い。
このことから、人間にとってこのような風景を写すのはプリミティブなことなのかもしれない
(写真術の発明者たるニエプスの世界最初の写真を見よ)。
もうひとつのプリミティブなものに人間の顔というものもあるが(ダゲールの写真)。
もちろん都市以外の被写体も数多く収めてきたけれど、「モノクロームによる都市写真」という軸は常に維持してきた。

他の写真家にも沢山の影響を受けた。
森山大道と来れば、中平卓馬も東松照明・細江英公あたりも当然影響を受けないわけにはいかないし、
牛腸茂男やなんと言っても荒木経惟も、僕の過去の作品を参照していただければ、その影響を当然に感じることができると思う。
でも不思議なことに、海外の写真家に影響を受けたという記憶はあまり無い。
当然にクラインの名前なども挙がってくるはずで、もちろん好きな作家の一人であるが、「影響」という意味では日本人作家の方がはるかに大きいのである。
その謎は今後も考えるべきものであるが、ただ唯一の例外がアッジェである。
彼の残した冷徹なまでの膨大な都市の記録は、近頃特に自分の心を激しく動かしている。
さて、仮にも写真で何かを表現しようとする者が、これ以上拙い言葉で自分の写真を説明するのは、
あまりにも不細工なような気がしてきたので、そろそろ結論に入らねばなるまい。

今回「写真都市」という作品群を発表したのは(自分の認識では今回のみならず総体的に自分の写真を含めているが)、
次のような要素のためだと考えている。

・プリミティブな都市への興味
・モノクローム写真の持つインパクト・イメージの解体
・グラフィカルな面白さ
・しかしそこに現れた紛れも無い「記録」の認識
・数人の写真家の影響
・そして自分なりの「札幌」という土地への印象、認識の総体

だから、その被写体はいわゆる絵葉書的な風景にのみ向かうことはないし、単なる廃墟趣味に走ることもない。
それは単なる「画」の集まりでもないし、「記録」に徹しているわけでもない。
自分でも得体の知れないものを相手にしているなと思っているが、つまりは都市と自分の距離のとり方の総合的な結果なのだと考えている。

そしてもっと単純に言ってしまえば、自分の札幌という都市に対する愛着の結果ということになるのだろう。

数日前の日記に、都市を眺めることは、まことに楽しいことであるという意味の文章を引用したように。

(08.02.11記)