2025‐01-13 川のある街(2025年1月九州旅行記)
2025年元日から7日にかけて九州の長崎・熊本・鹿児島それから福岡まで旅に出かけた。
いつもは一箇所に数日間留まるスタイルが主で、正月にしかも日毎に街を移動していくのは初めてでいつもとは違う旅となったが、いつものように誰の求めもないものを漫然と書き連ねてみたいと思う。
1月1日(水) 札幌から長崎へ
大晦日から札幌は大雪で、初日の出の前にも雪かきをしていた。飛行機はちゃんと飛ぶだろうか。様々な理由でいつもの自家用車は利用できなかったので、家族に新千歳空港まで送ってもらった。雪が積もったのは札幌市内だけで、空港に近づくにつれ雪は少なくなり快晴に近い天気。思ったよりも早く着いて、元日の空港はそこまで混雑せず、余裕のある搭乗となった。
10時過ぎに新千歳空港を飛び立ちすぐに雲の上へ。2時間ほど経つとだんだん高度が下がって、下界の様子が明らかになってくるが、北九州市くらいから景色と頭の中の地図が一致してくる。福岡を初めて訪れたのは2018年2月で、福岡市街地に飛び込むように空港に着陸するさまに目を見張ったが、今回もまた遊覧飛行しているような気分で街を見下ろした。
空港内でうどんを食べてから博多駅へ。地下鉄で10分もかからずに到着する。博多駅は結構な人出で、ホームには九州各地に向かう特急列車が発着している。「特急リレーかもめ37号」に乗り込み武雄温泉駅まで、そこからは2022年に開業した西九州新幹線の「かもめ37号」に乗り換える。新幹線に乗ったのは7年ぶりくらいで新線や新車に乗るのは初めてである。主に政治的な理由か佐賀県内の建設はできないようだが、おそらくこの先数十年はわずか全長66kmの新幹線が行き来することになるのだろう。ともかくトンネルを抜けると急に長崎駅終点となる。
夜明け前からあっという間という感じで、気づけば長崎駅前の電停に立っている。まだまだ明るいが、札幌より日没の時間が約30分遅いということである。駅から15分くらい歩いて17時頃にこの日から2泊する「ビジネスホテルニューポート」にチェックインする。長崎港の波止場の目の前にあって築50年くらい。廊下や隣室の音も筒抜けのようなホテルではあったが、部屋の窓からの港の眺めはなかなか良かった。
荷物を置いて一息つけてから夕食がてら少し歩いてみようと思った。近年に復元された出島の裏を通って、繁華街である思案橋や路面電車の崇福寺電停まで。思案橋は元日に開いている店はほとんどなくて、街灯も少なく街は非常に暗い。裏通りは大量のゴミが散乱していて殺伐とした雰囲気だった。とにかくショッピングモールやチェーン店含めて飲食店がほとんど開いておらず、仕方なくホテル1階にあるコンビニエンスストアへ。ここも21時閉店とのことで、急いで朝食含めてあれこれ買い求め、部屋で港を眺めながら飲むことにした。
1月2日(木) 終日長崎市内
ホテルのフロントで路面電車の一日乗車券を買う。今日はこれで全ての路線に乗り、沿線を撮り歩くつもりだ。昨夜にも訪れた繁華街である新地中華街や思案橋などを歩く。やはり「夜の町」なのか朝はあまり人は歩いていない。
崇福寺終点から西浜町で乗り換えて今度は蛍茶屋終点へと次々に電車を乗り継ぐ。すぐに西浜町まで戻って、めがね橋周辺を歩く。このあたりはさすがに観光客が多い。電車は頻繁にやってくるのでそれに乗るのが一番いいが、繁華街や観光地に関しては歩いてまわるのにちょうどいい大きさの街である。
再び電車に乗って今度は街の北の郊外にある赤迫終点まで。それにしても電車は次々とやって来て待たされるということがほとんどない。後ろにはもう次の電車が待っている。あとで知ったが、この日は特別ダイヤで間引き運転がされていたようで、普段はさらに本数があると思うと、本当に気軽な足として市民に馴染んでいるようで羨望の思いがある。原爆資料館から北はしばらく専用軌道が続いていて、そこを快速で走るのも気分が良かった。
さてそろそろ昼食をとも思ったが、この日も正月休みのところばかりで、そもそも郊外では店自体が少ない。長崎大学近くのマクドナルドが開いていたのでそこで一息つける。浦上車庫を見てから、浦上川を越えて、丘を登り降りして浦上天主堂へ。現在の天主堂は1959年に再建されたものだが、1945年の原爆投下の爆心地に近い大建造物として知られ、現在では爆風で吹き飛ばされた鐘楼の一部が現地に残されている。政治的または宗教的な様々の理由で天主堂は現地に再建されたが、もし被爆時のまま保存されれば広島の原爆ドームのような被爆のシンボルとなっていたことだろう。広島と長崎の原爆投下の経緯や被害の様子の違い、またはその後の反戦反核運動のアプローチの違いなども今回関心を持つことになった。
再び丘を登り降りして平和公園へ。平和祈念像があり原爆犠牲者を追悼する公園だが、ここも各国からの観光客で賑わっている。札幌羊ケ丘展望台のクラーク像のごとく、楽しげに像と同じポーズで記念写真を撮る光景に違和感が無いわけではないが、ここにいるとりわけ朝鮮半島や中国、東南アジア諸国の人たちの先祖に対して日本が行ったことを考えると何を言う事はできまい。
その後原爆資料館なども見学したが、原爆投下後も核実験や、核兵器を背景にした国際紛争は収まったことはないし、改善されるのは非常に困難なことだと思っている。最近では2024年8月9日の長崎平和祈念式典へのイスラエル大使招待問題で、米英などの大使がイスラエルに協調して出席を取りやめたことなどでも明らかである。その対応で長崎市長の行動や平和宣言に共感したことも今回の長崎行きの理由の一つにあった。今まで何となく広島の影に隠れていた印象もあったが、広島とは違う主張をしたことで今後の反戦反核のリーダーも変わっていくのかもしれない。
浦上の丘の上から日も暮れるのを見て、再び繁華街に戻る。再訪した新地中華街はなかなかの人出である。前日と比べると開いている店もいくつかあったがやはりどこも混雑している。それならばと近くの「餃子の王将」が比較的空いていたので、餃子とビールと、せめて長崎らしくということで皿うどんに。いつも旅行時には食は最優先ではなく、アルコールが少し摂れればそれでよいので、有名店とされるところに並ぶよりも、すぐに入れる店を選ぶという方がもともと性に合っている。
すっかり日が暮れたところで西浜町から石橋終点まで電車に乗る。この日最後の乗車になったが十分に一日乗車券の元は取れたと思う。ここから鍋冠山(なべかんむりやま)に登って夜景を見ることにした。斜行エレベータというケーブルカーのような乗り物やエスカレータもあるが、ほとんどは急峻な坂道で息を切らせ、住宅街を抜けて何とか登り切る。有名な稲佐山に比べたら高さはあまり無いし、アクセスも大変だが街との距離は近く、港の風景と合わせてまた独特の迫力を感じられるのはいい。もし朝にホテルの部屋で地元ケーブルテレビの定点カメラを偶然に見ていなかったら知ることもなかっただろう。そして道すがらの住宅街のあり様にも驚いた。急峻で狭い坂道には自動車は一切進入できず、以前テレビで見たゴミ回収に用いられるソリも確認できた。斜行エレベータやエスカレータからも遠い大部分の住宅はどうやって生活しているのだろうと気になっている。
山を降りてクラバー邸、大浦天主堂などの観光名所を通って、最後はホテル近くにある「みなとサウナ」へ。特に新しい設備というわけではないが、とにかく空いているのがいいし、元はスチームサウナだったようなところで涼んでいると、少し開いた窓から、電車の音が聞こえてくるのもとてもいい。すっかり「ととのった」からさっさと寝ればいいのだが、長崎に名残惜しさを感じながら部屋でまた少し飲んでいた。
1月3日(金) 長崎から熊本へ
ホテルをチェックアウトしてからまず長崎港を少し歩く。そうしていると、ふと路面電車に乗っていない区間があったことを思い出し桜町方面へ。町は坂に貼り付いているようだが、電車は坂を切り開いたトンネルを通っていて地下鉄のようになっている。諏訪神社という電停まで歩いて、そこから電車に乗って長崎駅前まで。今度こそこれで最後の乗車となった。
長崎からはJR線に乗って30分ほど、いくつかの山を抜けると諫早に着く。そこから島原鉄道に乗り換え終点の島原港までローカル鉄道の旅。車内はなかなか混み合っていたが、ほとんどは諫早周辺の駅で降りていって乗り通したのは観光客が数組ほど。車窓からは諫早湾の広大な干拓地や有明海を望むことができた。島原鉄道は国鉄線が第3セクターに転換されたものなのかと思っていたが、とんでもないことで1908年開業の国内でも古参といえる私鉄会社であった。
島原港駅からフェリーターミナルまでは歩いて数分。ここから熊本港までフェリーに乗ることになるが、出航まで時間があったのでひとまずターミナル内の喫茶店で昼食にしてから、近くの船溜まりを撮ったりしていた。
島原港から熊本港まではフェリーで1時間ほど(高速船だと30分ほど)で乗客の多くは自動車を積み込んでいるようだ。有明海を進む船からは雲仙岳がよく見えるが、餌を目当てにしたカモメの群れがしばらくデッキの乗客に群がっていた。元日から九州も決して暖かいというわけではなかったが、デッキに立っていられないというほどでもなく、しばらく穏やかな船旅を楽しんだ。
熊本港からは路線バスに乗って熊本市内まで。しばらく水田の間やロードサイド店舗の並ぶ郊外を走っていて、中心部まではそれなりに遠いのだろうと思っていたら、急に熊本駅近くの田崎橋に出たので意外な思いでバスを降りた。日本の市街地ではよくあるパターンだが、この熊本も駅と街の中心繁華街からそれなりに離れている。
それにしてもこの日の熊本はなかなか肌寒い。発熱も疑ったが、この日の最高気温は5℃くらいで雪が降る土地でもあるという。このあと九州には寒波が襲来して福岡などでも積雪が見られたが、体感的には札幌よりずっと寒く感じられた。
そんな肌寒いロードサイド店舗が並ぶ大通りをしばらく歩いて、この日の宿である温泉施設「湯らっくす」へ。ここはサウナが好きな人の間では「西の聖地」として知られているところだが、1月3日の夕方という恐らく年間で一番混むタイミングで行ったのは今回の旅で唯一のミステイクだった。浴場は非常に混雑していてサウナにいいタイミングで入ることもできず、休憩スペースも全く座れる場所もない。仕方なくフェリーの三等船室のような申し訳程度の仕切りがあるドミトリーで早い時間から身を潜めて横になっているしかなかった。
それも夜になると、隣から今まで接したことのないレベルの酷いいびきと不安になるくらいの睡眠時無呼吸症候群が気になり結局ほとんど寝ることができず散々の思いであったが、深夜であればストレスなくサウナに入ることができたし、食事のレベルもなかなかのものだった。例えるならば大人数のキャンプか音楽フェスのようでもあり、雑踏の中でも寝られるか、または寝ないで楽しめるくらいの若さがないとここはなかなか厳しいかもしれない。
1月4日(土) 終日熊本市内
塩サバ定食の朝食もなかなか良かったが、また混雑すると困るので早々にチェックアウトをすることに。街の中心を流れる白川を越えて、河原町電停そばにあるこの日に泊まるホテルにまず荷物を預けてから街を歩くことに。
この日も風があって震えるほどに寒い。冬に内地に行くといつもそうだが、札幌の真冬とほとんど同じ服装で行っても体感的にはずっと寒い。内地のプラス5℃と札幌のマイナス5℃は感覚的には同じくらいだろうか。
ホテルの周辺は唐人町や呉服町といったいかにも城下町で歴史ある建物が続いている。1875(明治8)年に架かった「明八橋」の下を流れる坪井川は熊本城の内堀でもある。新町電停に出て、上熊本駅まで歩くことに。この上熊本駅に向かう「B系統」は支線のようで、しかも休日ダイヤとあってなかなか電車が来ず、思ったように撮れもしなければ乗れもしなかった。しかし、旅の間の一見無為に思える時間は実は重要なものだとも思っている。このあたりは熊本城の裏手にあたりの寺町でもあるようだ。
上熊本駅前からは電車に乗って西の終点の健軍町まで乗り通す。2024年度から熊本市電では運営に大きな混乱があったらしく10回ほどの脱線事故や他にも小さな事故をいくつも起こしている。この日も前日まで事故の影響で運休になった区間もあり、非常に慎重に運行しているのが印象的であった。ここ熊本もラッシュ時には電車に乗り切れないほどの公共交通の中心なのだから、何とか改善されればと思う。
中心部はそのまま通り抜けて終点の健軍町へ。周囲は小規模ながら飲み屋街が形成されていて自衛隊駐屯地関係の利用も多いのかもしれない。街の雰囲気は札幌の麻生付近にも似ていて、もしあの街にも市電が残っていたらこんな感じになっていたのかなと想像した。
再び電車に乗って先程は通り過ぎた中心市街地の水道町で降りる。鶴屋という大きな百貨店があって、通りにも人がたくさん歩いている。上通や上乃裏通り、下通に銀座通りなどいくつもの商店街をしばらく歩いた。観光客もそれなりにいたとは思うが、どこにもない独特の活気がある街だと思った。福岡のような大都市は別にしても、同じことはこのあと訪れる鹿児島市でも感じた。札幌に一極集中してしまった北海道の諸都市ではもう見られない雰囲気かもしれない。
行列のつづく熊本ラーメンの有名店にはやはり入らず、適当に目に付いた空いている店で熊本ラーメン。あまり馴染みのない細麺のとんこつラーメンだが、これもこれでなかなかいいものだと思ってきたし、サイドメニューの馬肉の卵とじ丼はいかにも熊本だなと思った。熊本の歓楽街もすすきのに負けず劣らずなかなかの規模のようだ。飲み屋街を抜けて白川のほとりに向かうといくつもの特殊浴場群がありそこもなかなかの壮観だった。
白川を渡って九品寺という町は、小さな水の流れと祠と連れ込み旅館などが混在するなかなか風情のある所で、狭いながらも熊本で最も印象的な所になった。結局熊本城へは登らなかったくせに、大きな川や小さな堀のある町というのは心惹かれるものがある。
再び繁華街へ戻って辛島町電停まで。電停の前には「サクラマチクマモト(桜町バスターミナル)」というバスターミナルを再開発した複合施設がある。非常に洗練された広場や交通結節点、商業施設それからホールなどが整備されていて感銘を受ける。札幌駅前では現在、再開発の見通しも不透明で、路上に四散したバス乗り場が混乱を極めているがこんな施設があればいいのになと思う。熊本の名産品を扱う店でホテルで飲むための酒肴を求める。
まだまだ明るかったが16時頃にチェックインして、まずはこの4日分の洗濯をしてその間に温泉に入る。ホテルのロビーにあるウェルカムドリンクには熊本の焼酎やウイスキーも含めて酒類も充実していて、あれこれ楽しみつつ買ってきた分とも合わせてそれなりに飲んでしまった。そうなると相変わらずの寒さと、前日からの眠気でもう夜の街に出る気にもならず、部屋の窓の下を行き交う電車を見ながら酒を飲んでこの日も終わった。
1月5日(日) 熊本から鹿児島へ
ホテルをチェックアウトして熊本駅まで向かう。24時間券がまだ残っているから電車に乗っても良かったが歩いてもそうかからない。熊本駅周辺は数年前から再開発が続いているようで、駅前広場と駅前電停が一体化している。駅舎は安藤忠雄がデザインしたそうだ。電停は多くの利用者で賑わい街の顔として機能していて、昨日のバスターミナルやこのあと訪れる鹿児島中央駅前でも感じたが、札幌駅前もこうなったらよかったのにと思った。
熊本から鹿児島中央へは新幹線でわずか47分。それもトンネルや山間を走る区間が多いので感覚的にはあっという間。鹿児島中央駅前にも賑わいがありその先には路面電車が待っているので、まだ熊本から続いたままという感覚もある。そして熊本ほどではないが、多少気温が高いくらいで暖かいというほどではなく、せっかく本土最南端まで来たのにとは思うが、日本の冬はどこも寒いということなのだろう。
電車で天文館通に向かう。鹿児島中央駅前もそれなりに賑わっていたのに、中心繁華街の天文館近辺はそれ以上で、また歓楽街もすすきのや歌舞伎町などと比較しても独特の集積があって、政令指定都市クラスの大都市のように感じられた。
例によってその日の宿に荷物を預けてから、天文館近辺を歩き回る。大通りには電車とバスが次々と発着し、日曜日ということもあってか多くの人が出歩いている。いくつかアーケード商店街などを抜けて山形屋百貨店へ。ここは1772年創業の呉服店で1920年代に建てられた荘厳なゴシック様式の建築が特徴的である。最近はあまり見られない「デパートの大食堂」が健在と聞いていたが、昼時ともあって大行列ができていてその支持の厚さを嫌でも納得させられる。各フロアも他のデパートとは違う雰囲気があって、全体としては苦境が伝えられるデパート業界にあって根強い支持が得られる理由、ひいては鹿児島の中心繁華街に人が集まる理由を見たような気がした。熊本のデパート周辺にも同じ傾向があったのかもしれない。
結局山形屋の向かいにある商業施設で少し奮発して黒豚のロースカツ定食と最近増えてきたご当地ハイボールにした。全く客がいなかったので若干不安にはなったが、メニューとシステムが今ひとつ不明瞭なせいで、味はもちろんサービスもとてもよかった。とんかつにはそれなりのこだわりがあるようで、いちいち食べる順番とかつけるべき調味料などを指図されるが、こういうスタイルも個人的には好みである。
少し歩いて西郷銅像前まで。鹿児島市内はぱっと目に付くところでも銅像がいくつもあって維新の偉業を顕彰している。特に西郷隆盛への崇拝は凄まじくまるで社会主義国に来たかのような気にもなる。ここからカゴシマシティビューという鹿児島市内の名所を巡るバスに乗る。銅像前の官庁街を抜けて急な山道を登る。そういえば鹿児島の官庁街はなんだか札幌のようでもあったが、それは発想が逆で北海道の開拓に多く関わったのは薩摩の人たちであるのだから似るのは当然とも言える。
城山公園展望台まで登って市街地を眺める。眼前には桜島が迫っている。それなりの標高はあったので無理して歩かずバスにしてよかった。その後バスは島津家の別邸である仙厳園など郊外を周って鹿児島駅前で降りる。鹿児島駅前には立派な市電のターミナルこそあるが、繁華街でも住宅街でもなく鹿児島中央駅との差は大きい。桜島に向かう桟橋へは近く、ちょうどフェリーが出るところだったので飛び乗るようにして桜島へ向かった。
もう夕方になっていてどれくらい桜島を見られるか分からないが、対岸へはフェリーでわずか15分で本数も深夜までたくさんあるので、すぐに戻ってこられる気楽さもいい。フェリーターミナルの前には今度はアイランドビューという巡回バスがあって、それに乗って島(厳密には地続きであるが)の名所のいくつかを見たが、ほとんど人もおらず北海道の田舎を訪れた時のような気にもなった。
最後に湯之平展望台に登って対岸の鹿児島の街並みや海峡の景色などを見ていた。遠くにある高い山はなんだろうなと思っていたら、近くにいた子どもが「かいもんだけ(開聞岳)や」だと言っていた。帰りのフェリーから見る景色も非常に心に迫るものがあり、この雰囲気に魅せられてこのあとにも船に乗ることになる。
すっかり日は落ちていたが、また電車に乗って郊外の谷山まで。暗くて車窓は分からなかったがやはり専用軌道の乗り心地はいい。それにしても路面電車ではその土地のお国言葉が聞こえるのが魅力的で、長崎では外国人の方が多いくらいでよく分からなかったが、やはり薩摩弁はイントネーションの違いが大きく、はじめ若い女性たちが話しているのは韓国語かと思ったほどだった。
再び街に戻って天文館前で降りる。少しだけ歓楽街を歩いて、目についたインスタントな居酒屋で一杯(いや三杯くらい)。ようやくこの日に泊まる「ホテルニューニシノ」にチェックインしたが、まもなくでサウナ浴場が閉まるというので慌てて入る。ここはまたクラシカルなサウナでまず銭湯の番台のようなカウンターで説明を受けてから入浴。古いながらもこだわりを感じるサウナで、これは翌朝もチェックアウト時間を気にしつつまた入らねばと思った。
1月6日(月) 鹿児島から福岡へ
ちょっと早めに浴場を開けてもらって少しだけサウナを楽しみ、鯛茶漬けの朝食を頂いてからチェックアウト。電車で鹿児島中央駅まで行き新幹線に乗り継ぐ。博多駅への所要時間は79分。その時間短縮効果に圧倒され、いつになるかはわからないが、札幌まで新幹線ができれば同じような恩恵を受けられるのかなと思った。対東京だけで考えると航空機があればいいと思うかもしれないが、それ以上に北海道内や東北地方との人の流れが生まれることで、この地方の衰退を少しでも止められるのではとも思っている。
博多駅に着いたが、この日もまたはっきりと寒いと感じられる気温だった。雲も広がっていて先行きは不安である。土産物を買ってから駅を出たが、やはり大きな街で、札幌より人口は少ないものの活気ではずっと勝っている印象がある。駅から10分ほど歩いて最後の宿泊施設「ウェルビー福岡」へ。例によってチェックイン前に荷物を預ける。ここはすぐ前に大きな商業施設であるキャナルシティなどがある繁華街の中にあるが、もうだいぶ疲れていたので街を撮りにでかけようという気にはならず。それでも友人に勧められた長浜ラーメンを食べに、すぐ前のバス停に折よく長浜に向かうバスがやってきたのでそれに乗り込む。バスで15分ほど、鮮魚市場などある港の方へ向かう。ちょうど昼時というのもあって有名店はなかなかの行列。元より並ぶという考えはなかったので、近くにある別の長浜ラーメンの店に入った。博多風の細麺にもだいぶ馴染んできて、日常的に食べるかどうかは分からないが、これもいいものだなと思った。
店を出たくらいには雨も降ってきて、並ばなくて本当に良かったなと思ったが、傘も無いのでしばらく近くのスーパーマーケットで雨宿り。この1週間近くよく雨に降られなかったなと思うが、冬には雪が降るものだからそもそも傘を持とうという発想がなかった。幸いにて大きな雨雲はすぐに去ったので港に向かって歩き始める。30分ほど歩くと博多ふ頭ターミナルへ。博多ポートタワーというのもあって港や市街地を一望できる。このあたりには2018年にも訪れているがタワーには登っていなかった。あの時は同行者と別れて天神から那珂川沿いに一人歩いてきたように思うが、互いの性格や機嫌の不一致もありあの時は大変だったなと人と旅する難しさを思い出した。
博多ふ頭ターミナルから対岸の志賀島まで市営渡船で渡れるという。博多からまず西戸崎という町まで15分、さらに終点志賀島までさらに15分ほど、渡船にしてもやや小ぶりな船に乗る。自分の他に観光客が数人。小さなデッキから時折雨風に打たれながら福岡市街・博多湾を見る。
志賀島は「漢委奴国王印」の金印の発掘地としても有名で、漁村のようにも見えたが、ここも福岡市東区内で市街地とも砂州で地続きになっていて、夏は海水浴客で賑わっているようだ。博多への帰りはバスにしようと思い、しばらく時間があったので、少し島内を歩くことに。時折車が通り過ぎる他は、人は誰も歩いていない。数少ない観光客たちはどこに行ったのだろう。
静かなものだと思っていたら、数台のオートバイが轟音を立てて通り過ぎていった。少し後に飲食店の前で彼らに求められて集合写真を撮ってあげた。普段の仕事がそうなのでお安い御用ではあるが、今回含めて旅行に行くとなぜかシャッターを求められることが多い。海沿いをしばらく歩くといよいよ人家もなくなってきて、吹き付ける海風も冷たくて北海道の漁村を歩いているようでもある。しかし、玄界灘を行き交う貨物船などの多さを見ると紛れもなく九州を歩いているのだなと思わされる。
渡船乗り場の前に戻り、路線バスで中心部へ向かう。天神までの所要時間は1時間ほどで、砂州である海の中道やいくつかの町を経由する。海の中道海浜公園からはなかなか混み合ってきた。福岡の路線バスらしく都市高速を経由して中心部まで。中洲の近くでバスを降りた。
もう日も暮れかけている那珂川沿いに歩いて、中洲の歓楽街も明かりが灯り始めていたが、相変わらず疲れたままだったので軽く流してサウナにチェックイン。この日はほとんど客がいなかったということもあるが、とにかく創意工夫に富んだ素晴らしいサウナで、疲れを吹き飛ばすとともに様々な知見も得られた。食事もなかなか良くて、今回はカプセルではなく個室にできたのでゆっくり安眠することもできた。志賀島をはじめあまり観光では訪れない福岡も見られたのは非常に良かった。
1月7日(火) 福岡から札幌へ
連日そうだったが、この日も朝からサウナに入ってから朝食。味噌汁が甘くて驚いたが、そういえば九州の味噌汁は甘いんだったかな。時間を残してチェックアウトするのはやや名残惜しい思いもあったが、帰りの飛行機の時間まで少し街も歩いておきたい。この日もなかなか寒かった。
博多駅のコインロッカーに荷物を預けてからまずは地下鉄で大濠公園へ。ここは以前から歩いてみたいと思っていた。大きな池の中島などを歩き公園をしばらく散策。もっと時間があれば福岡城址の方に足を伸ばしてもよかったかもしれない。地下鉄六本松駅から天神南駅へ。新しくなった天神バスターミナルなどを見学する。ここ天神では「天神ビックバン」と呼ばれる大規模再開発が行われていて、次々に高層ビルを建て替え東アジアのビジネスセンターになることで税収や所得を向上させることを目論んでいるようだ。札幌でも後追いのように再開発は進んでいるが、様々な理由で出遅れてしまった感もあって、ある時からライバルになった地方都市のトップランナーはどちらに移るのだろうということを考えた。
中洲も少し歩いて博多駅に至っても、まだ少し時間はあったが空港へ向かうことに。といっても地下鉄で10分弱で着いてしまうので気軽に予定を立てられるのも福岡の大きなアドバンテージのように思う。ターミナル内でまたしても麺類(結局太麺に戻ってしまった)にして、なお時間があったので展望デッキにも出てみたが、冷たい強風で数分もいられなかった。
次にどこに行くかはまだ全く考えてはいないが、恐らく福岡空港は今後も訪れることもあるだろうし、また福岡の街を歩くこともあるだろう。また長崎・熊本・鹿児島の街も非常に面白くて訪れることができて良かったし、今回は訪れなかった大分や宮崎にも足を伸ばすことでようやく九州の一部を知ることができるのかもしれない。
福岡から新千歳までは2時間少し。行きよりは早いが、着陸後に降機まで待たされてそれなりにかかってしまった。いつもなら空港から自宅まで自家用車で1時間弱というところであるが、今回はその方法を取れないし、しかも最近の空港連絡バスは本数が減ってしまって全く使い物にならないので、久しぶりにJRで札幌駅まで、それから地下鉄に乗り換えて真駒内まで、最後は路線バスで自宅までと、とにかく移動し続けた1週間だったが、最後の移動が順調ながらも一番億劫なものであった。
撮ってきた写真については以下に。
2025-01-01~03 長崎(全137点)
2025-01-03~05 熊本(全82点)
2025-01-05~06 鹿児島(全87点)
2025-01-06~07 福岡(全91点)

