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2024-04-14 Yellow (2024年2月東京旅行記)

Yellow

2024年2月17日から21日にかけて約4年ぶりに東京へ行ってきた。
そしてこの文章を書いたのが、旅行から一月以上経った3月24日から4月6日にかけて。
繁忙期に追われもう忘れてしまったこともあるが、逆に印象が定着したものもあると思うので、
その時々で記していたメモと、何より写真たちを頼りに、いつものように漫然と書いてみたいと思う。

今回の旅行の最大の目的は2月18日に行われた「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」へ行くためである。
私は2015年頃からこのラジオ番組のリスナー(いわゆるリトルトゥース)で、
チケット発売当初からかなりの争奪戦となることは容易に予想できたが、
どういうわけか約20万人分の5万人を引き当てることができた。
このライブについてはまだまだ書きたいことはあるが、本筋と離れてしまいそうなので、2月18日の項目に少しだけ書くのに留める。

 

2月17日(土) 立石・四つ木・新小岩

新千歳空港へはいつものように自家用車で向かう。
道路状況にもよるが、雪もあまり積もっていないし、
自宅から途中の恵庭市まで信号がほとんどない山中を走るので、
空港までだいたい40分くらいで着くことができる。

駐車場から空港への送迎バスの中、隣に座っていた方はオードリーのグッズに身を包んだ、
見紛うことのない「リトルトゥース」であった。
自分もグッズを着ていたので、保安検査場で並んでいる時に少しだけ話をすることができた。

その翌日には、そんな人が数万人も集まることになるわけだが、
基本的に一人で聴くことの多い深夜ラジオについて、
沢山の人とリアルの空間で共有できるというのは思っていた以上に楽しいことだった。

正午前くらいに成田空港に降り立つ。
京成立石駅周辺に行きたかったので、京成電鉄でもスカイライナーやアクセス特急には乗らず、
快速と普通を乗り継いで京成本線の風景をしっかりと堪能していた。

だいたい1時間ほどかけて京成立石駅にたどり着く。
立石は10数年前に短期間ながら暮らしていた町だ。

古くからの建物がびっしりと建て込む下町らしい町だったが、
京成電鉄の高架化に合わせて、防災のための再開発がもう何年も行われている。
前回2019年に訪れた時は本格的に再開発が始まった頃だったが、
4年も経つと町の雰囲気は一変、というほどでもなく、しかし確実に変化をしていた。
いつしか有名な存在になっていた「呑んべ横丁」は既になかったが、
まず駅の北側にあった商店街が工事用の壁にとり囲まれ間もなくで姿を消そうとしていた。

災害があったわけでもないのに、あんなに賑わっていた町が区画ごと無くなってしまうというのが衝撃的でしばらく所在なく歩き回っていたが、
他にも「ここには何があったっけ…?」などと言いながら歩いている人が何人かいて、
中にはアクションカメラを回しながら何らかの配信をしている人の姿も。
休日でたまたまだったのかもしれないけど、賛否の分かれる下町の再開発に関心を持つ人は少なくないのかもしれない。

駅の南側はかつてのままで、この日も商店街や飲み屋街は賑わっていた。
ようやくホッとできると言いたいところだったが、前から後ろからやたらと自転車が走ってきて、
立ち止まって写真を撮っている場合ではなかった。
10数年前だって自転車は当然たくさんあったはずだが、
こちらの気分の問題なのか撮り方が変わったのか、とにかく落ち着かない。
ただ、店の構成などは多少変わったものの(疑似レトロ下町風酒場が増えた)、
商店街の賑わいは相変わらずで、懐かしい気分になる。

商店街を抜けた先にあるインドカレー屋に入る。
ここもかつてよく利用していて、さすがに当時のように500円ランチはもう提供されていなかったが、
店内はほとんど変わっておらず、当時のことを思い出しながらナンをちぎっていた。

店を出てまた歩き始め、東立石の住宅街を歩き旧居の前も通る。
そのまま10数年分くたびれていて、相変わらず治安の悪そうなマンションであった。
変わったところとそうでないところがあるが、もしそのまま暮らし続けていたらどうなっていただろうなとも思う。
中川に架かる平和橋を渡ってもうしばらく歩くと、だんだんと総武線新小岩駅前の繁華街に近づく。
今回は駅近くにあるビジネスホテルに4泊することにした。
ここはバス停の前にあって通勤時にもよく目にしていた。

朝から荷物を持ってあちこち歩いたので、部屋に入ったら寝てしまいたいところだったが、
日が暮れる前にどうしても行っておきたいところがあったので、荷物を放り込んでまた部屋を飛び出す。

新小岩駅からしばらく歩くと荒川の河川敷に出ることができる。
そしてしばらく上流に向かって歩くと目の前に東京スカイツリーに正対するポイントがある。
この場所をスカイツリーがまだ根元だけだった頃から何度も訪れていて、
何故かは分からないけれど、私は東京のどこよりも気に入っていた。

だだっ広い河川敷の風景と堤防の下に密集している下町の家並みと不釣り合いのようなタワーのある風景はずっと印象に残っていて、
予算など様々な条件から不動産屋に勧められるがままだったのだけど、
ある程度の必然と偶然で立石に住むことができて良かったなと思っている。
部屋探しで初めて立石にいった日の日記を掘り起こしてきた。
http://blog.livedoor.jp/ya5u5hi/archives/52358998.html
不動産店員氏の「きっと気に入るはず」という言葉は間違っていなかった。

すっかり日も沈んで、さすがに札幌から来ても肌寒くなってきた。
東四つ木の町は狭い路地が複雑に入り組んでいて、ある程度の土地勘があったとしてもすぐに迷ってしまう。
旅先では道に迷うことも楽しいことだが、いつまでも寒くて暗い町を歩き回りたくもなかったので、
マップアプリを駆使して(徒歩で経路検索を利用したことがほとんどない)目的地としていたアクアガーデン栄湯へ。

昔ながらの銭湯というよりは現代風の温浴施設に近く(値段もそれなりにはする)、
噂通りサウナも良かったし、なにより番台の女将が非常に気さくな人で、あれこれと話している時間が楽しかった。
10数年前はサウナに入る習慣もなく、銭湯へ行くことは数回しか無かったけれど、
当時のこの周辺は今よりもう何軒か銭湯があったなという認識もあって、
あの頃に通っていたらまた別の楽しみもあったのかもしれない。

風呂から上がると午後9時前とそれなりに遅い時間になっている。
旅先で夕食のタイミングを逃すということはしばしばあるが、
東四つ木や東立石の住宅街にはそもそも飲食店があまりないし、
しかし新小岩駅前に出るのも何となく億劫で、結局かつて利用していたセブンイレブンで、
明日のライブのチケットを発券してもらい、夕食をあれこれと調達した。

四つ木から新小岩に向かうバスも逃してしまい、昼と同じルートを歩きながらホテルに戻り、
葛飾区でのかつての生活をある程度追体験できたことに満足してこの日は終わった。

 

 

2月18日(日) 有楽町・竹橋・水道橋

午前9時頃にホテルを出て、まずは昨日歩けなかった新小岩駅周辺を歩く。
思えば住んでいた当時も意外と歩いていない町ではあったが、あんなにたくさんあったフィリピンパブは少なくなって、
その代わりにガールズバーやら、やはり疑似レトロ酒場が増えている。
しかしどうしても垢抜けないのは相変わらずで「いかにも総武線らしいな」という根拠のない印象を新たにする。

新小岩駅から総武線快速に乗って東京駅まで。日曜日だったがそれなりに混んでいる。
かつて住んでいた頃ならば「空いているな」と思うのだろうが、今では電車に乗ること自体あまり無くなってしまったので、
ちょっとの混雑でも圧倒されてしまう。今後はわからないけど、東京レベルの電車通勤はもうできないのだろう。

東京駅を深い地下ホームで降りて、エスカレータをいくつか経て丸の内へ。
日曜で人のほとんど歩いていない丸の内のビル探訪も悪くないが、歩くとすぐの有楽町へ。
ニッポン放送の社屋がある。東京ドームに行く前に密かにご挨拶をと思ったが、同じようなことを考えている人が他にも何人かいた。

せっかくなので二重橋前、東御苑と皇居外苑を抜けて次の目的地へ。
二重橋前は外国人観光客がたくさんいるし、日本人の団体旅行の人たちもいて、
きっと昭和時代からあまり変わらない風景なのだろうなと思う。
この日は休日で「皇居ラン」に参加する人も多く、絶え間なくランナーが続くさまはマラソン大会のようであった。

東御苑を抜けて竹橋にある国立近代美術館に到着する。
ここで行われていた写真家・中平卓馬の回顧展を見る。
これも今回の上京の理由の一つといっていいかもしれない。
改めてここで説明する必要はないと思うが、中平卓馬は日本現代写真のキーマンで、
その盟友である森山大道とともに自分が写真に接するようになった大学生の頃に大きな影響を受けた。
展示の企画意図としては時代に囚われず、中平の写真の本質に迫るということだったのかもしれないが、
個人的にはどうしても、中平が撮った世界の時事性であったり、個人に起こった様々なことを含めて、
むしろ時代に依拠していたという印象があるので、単純にレトロスペクティブとして受け止めることになった。
ともかく大学に入った頃に初めて出会った中平の写真の衝撃を思い出しながら、
しかし後の予定に追われながら早足で見るしか無かった。
2時間程度では足りず、他にも近代美術館には教科書にも載るような著名な絵画や、
現代写真の名作などのコレクションもあり、時間をかけてじっくり見たいものばかりだったが、
数時間も見るのはそもそも疲れてしまって不可能なのでそのバランスは難しいものである。
4月中には届くと思われる中平の展示の図録が楽しみである。

結局残り時間が少なくなってしまったので北の丸公園を経て、
九段下駅近くにあるマクドナルドで昼食にして(この日までオードリーとのコラボキャンペーン)、水道橋駅付近まで歩く。
皇居周辺は南北に通じる交通機関が無いので歩くのが結局一番早い。
東京ドームが近づくに連れ、グッズに身を包んだリトルトゥースの姿が増えていく。

思えばドームを訪れるのは初めてだ。
とにかく人でごった返していたが、みな同じ目的で集まっているというのも面白く、
ドームの周りは番組ののぼりが並んでいて、ロックフェスのような雰囲気でもあった。
開演の3時間前から列に並んだが、普段なら数人の待ちでも敬遠するし、しかも一人なのに不思議と長く感じなかった。
冒頭の方にも書いたが、自分の周りには「オードリーのオールナイトニッポン」を聴いている人は数人しかいなくて、
そもそも現代のラジオというのは非常にパーソナルなメディアなのに、
その「一人」が何万人も集まって熱狂しているという事実を目の当たりして、改めて感じるものがあった。

もちろん公演そのものも、さまざまな見せ場があって非常に楽しかったが、
前半の2時間は東京ドームを舞台に「通常回」の放送を見られたことに何よりも感激した。
午後9時くらいに終演となり、興奮醒めやらぬという感じであったが、
端に近い席にいたためか思いの外あっさりと混雑に遭うこともなく、
東京ドーム名物の強風の吹く回転扉を出て、水道橋駅まで歩く。
電車にもすんなりと乗ることができた。余談だが札幌ドームではこうはいかないだろう。

その日の公演では若林正恭氏と星野源氏によって「Orange」という楽曲が披露された。
元より好きな楽曲であったけど、実際に目の当たりして自分の中で重要な一曲になったような気がする。

阿佐ヶ谷 高円寺 夕方 オレンジ
妬み 嫉み 恨み 辛み
こびりつくこの道
阿佐ヶ谷 高円寺 夕方 オレンジ
栄光に向かって走る列車
休日運転通過していく

言うまでもなく「オレンジ」というのは中央線のことだが、
同じ線路が続くイエローの総武線に当てはめてみると、
「両国 亀戸 錦糸町」ととても詩にはなりそうもないなと思いながら、イエローの電車に乗って新小岩まで。
水道橋駅からのアクセスは抜群で、それも考慮して新小岩に宿をとって良かったなと心から思った。
結局この日も適当な夕食にありつけず、新小岩駅前にあるこの日2回目のマックにして、
まだまだ興奮醒めやらぬという感じで、予定していたサウナにも出かけず早々に眠ってしまった。

 

 

2月19日(月) 新宿・中野・水道橋・奥戸

なかなか思った通りにいかない日だった。
朝からそう強くはなかったが、冷たい雨がずっと降っていた。

午前9時過ぎと朝ラッシュの影響が残る時間帯で、まだ混み合う中央・総武緩行線で新宿まで行くことにした。
まっすぐ新宿に行けばいいものを、手前の四谷駅で途中下車をする。
更にはわざわざ丸ノ内線の四ツ谷駅へ乗り換える。
トンネルから出て堀の間にある開放的なホームを持つこの駅が昔からどういうわけか好きで、
東京にいる間はもちろん、その後も東京を訪れるたびに立ち寄っている駅だった。
しかしながら、この数年中にかホーム全体に屋根が架けられてあの開放感は失われてしまった。
それでもそこで初めて見た丸ノ内線の赤い車両とサインウェーブの模様は新鮮で、
丸ノ内線の持つ強いキャラクターをしっかり感じることができた。

新宿駅東口にある「北村写真機店」へ。
前日の撮影中にカメラのセンサーに付いたゴミがどうしても取れなくて、
しかも取ろうとしている最中に余計な傷やゴミも付けてしまって、
これはクリーニングを依頼しなければということになって、すぐに作業してくれるところを訪れた。
現在の札幌ではセンサークリーニングすらすぐにやってくれるところは少ないので、
こういうときは東京は便利でいいなと思う。
そもそも非常にゴミや傷のつきやすいミラーレス機の根源的な問題をなんとかできないのかなとも思いつつ。

店にはフィルム(現在では非常に高価で過去を知っていると手を出せないが)や新品・中古のカメラや時計、
さらには数百万円もするようなライカなど、フロアごとにさまざまな商品があって待っている間も退屈しない。
一通り見たあと、近くの無印良品で折り畳み傘などを買って、東口界隈を歩いているうちにクリーニングは終わっていた。

さて、ここから本格的に撮影再開と行きたいところだが、
雨の降りが強くなってきて、歩くのも億劫になってくる。
「雨の日の写真は雨の日にしか撮れない」という身も蓋もない格言を高校生の時に聞いたことがあるが、
それでも雨の日にまで写真を撮ろうという気にはなれない。
そもそも写真を撮ろうという気持ちがある人はそもそも晴れでも雨でも関係なく撮るだろう。
おまけに新宿駅西口では大きな再開発が行われて、高い壁に遮られてどこを歩いていいのか分からない。
久しぶりに新宿を歩いてみたいなとも思ったけど、結局すぐに中央線に乗って西へ向かった。

終点である中野駅から少し歩いて、アーケードを抜けて中野ブロードウェイまで。
ブロードウェイを訪れたのは10数年ぶりで、その時と変わらずサブカルチャー系の店もたくさんあったが、
それ以上に中古時計店ばかり並んでいて、やはり外国人観光客が集まっているのを見ると、時代が変わったのだなとも思う。

実は今回の旅行では新たな腕時計を買い求めたいと思っていたのだが、
ロレックスやオメガなあど年々価格が高騰するスイスの有名ブランドを扱う店も多く、
そもそも候補にはなかったとはいえ、今や普通自動車が買えるくらいの時計はとても手が出せるものではない。

中野駅周辺の歓楽街などを少し撮って、また中央・総武線に乗る。
次の目的地は再び水道橋駅だったが、なんとなく御茶ノ水まで乗って、聖橋からの風景などを撮る。
御茶ノ水駅界隈も東京の好きな場所の一つで、坂の続く町をしばらく歩いて、ほぼ24時間ぶりに東京ドームへ。

東京ドームシティで開催されていた「オードリーのオールナイトニッポン 15周年展」を見るためだが、
予約制にも関わらず入場するにもそれなりの列に並ぶことになる。
雨混じりの冷たい風がなかなか堪えた。
オードリーのオールナイトニッポンや前日の東京ドーム公演に登場したものが多数展示されている。
客観的に見ればガラクタではあるのだろうけど、ラジオリスナーにとっては紛れもない「聖遺物」であり
それををありがたがるように、列に並びながら一つ一つ写真を撮ったりしていた。

弱くなったものの雨は止むことはなく、また何だかくたびれてしまったので、
午後5時前には電車に乗って新小岩に戻り、ちょうど下校時間で学生が行き交う商店街に美味しそうなサンドイッチ店のケースがあったので、
いくつか買い求めて遅い昼食にした。

もうどこかに出かけようかという気分でもなかったが、飲んで寝るにはさすがにまだ早すぎる。
18時ころ再び新小岩駅前へ出て、そこから出ている送迎バスに乗って、住宅街の中を15分ほど進むと、
「奥戸温泉 古代の湯」という温泉施設にたどり着く。
ここもかつて近くに住んでいたのに行ったことがなかった。

いかにも現代風の健康ランドで、内容も充実しているのに、非常に空いているのが新鮮だった。
価格はやや高めで、なおかつメンズデー・レディスデーの割引率が大きいせいかもしれない(この日は特に割引にありつけなかった)。
ともかく個人的には空いていることが最大のサービスだと思っているので、心ゆくまでサウナと温泉を堪能したが、
何より施設の中にある中華料理店がおそらく全従業員が中国から来たと思われる本格派で、味のレベルも非常に高かった。
こんな場所が家の近くにあればいいなと思いつつ、閉館間際まで滞在して帰りのバスに乗る。
マイクロバスの中は自分のほかは退勤する従業員ばかりで、時折中国語が飛び交い思わぬ異国情緒を味わった。

ほとんど予定通りにはいかなかった一日だったけど、それはそれで満足できた一日でもあった。

 

2月20日(火) 新橋・豊洲・銀座・浅草

この日は総武線の緩行線(各駅停車)ではなく東京駅方面に直結する快速線に乗る。
午前9時半頃と朝ラッシュの少し後だったが、緩行線よりずっと混雑していて、
そういえば東京に住んでいた頃もこの時間に乗っていたことを思い出した。
結局その時は混雑に耐えられず、だいぶ遠回りにはなるが京成立石から京成線と浅草線を利用するようになった。
そちらは始発駅のすぐ隣だったから座れるくらい空いていたし、行動範囲としてもその方が自分に合っていた。

新橋駅の地下ホームに降り立つ。
薄暗いホームは開業した1970年代からほとんど変わらず、非常に地下深いところにある。
駅前のビルのなども昔のままで、全体としてグレーのモノトーンな町並み。
なんだかほっとする部分もあるが、いずれは再開発などされるのだろう。
駅から10分くらい歩いたところにある虎ノ門ヒルズは竣工したばかりで、
そこの1階には豊洲などベイエリアに向かう「東京BRT」も発着している。

BRT(Bus Rapid Transit バス高速輸送システム)という名前ではあるが、
水素を燃料に走るという真新しい車両が少ない停留所を発着していく他は、
あまり従来のバスシステムと変わったという印象はない。
湾岸の新しい町には鉄道も少なく、いずれはバス専用レーンなども整備されるのかしれないが、
ともかくタワーマンションや運河などを眺めながらバスは順調に進み終点の豊洲市場前まで。

埋立地の風景も昔から何故か気になっていて、2008年頃から何度も訪れているが、
当時空き地だったところは当然タワーマンションやオフィスビルなどになっていて、
その先、沖合に行けば行くほど風景は当然のことながら変化を続けていて、
また見に来ることになるのだろうと思う。

この日は最高気温22度にもなる初夏のような陽気で、上はTシャツだけで歩いていたが、
同じような服装なのは外国人観光客ばかりで、東京の人たちはそれなりの厚着をしているのには驚く。
思えばその前日も最高気温15度くらいで札幌ならば5月くらいの気温だと思うが、ダウンジャケットを着ている人もいた。
ただ、東京に住んでいた頃は最高気温5度くらいだと寒くてダウンジャケットを着ていたので、
つくづく体感温度というものは相対的なものに過ぎないと思わされる。

運河をいくつか渡って勝どきそれから明石町へ。勝鬨橋は改修工事中だった。
対岸にある築地市場は広大な空き地になっていた。
市場の移転も大きな禍根を残したが、ここはどのように利用されるのだろう。

築地本願寺まで歩いた。伊東忠太設計のインド風の大伽藍はいつ見ても荘厳なものだ。
ここも観光客がたくさん集まっているし、近所のオフィスの昼休みといった感じの人々もいる。
暑い中すっかり歩き疲れてしまったのでしばらく本堂に腰掛けていたが、
ひんやりした大理石の空間やそれに反響する読経の声、それから線香の香りが心地よく、
信心などないのにすっかりありがたい気持ちになってしまった。

築地から銀座へは歩いてもすぐだとは思うが、リニューアルされた銀座駅が見たくて日比谷線に乗る。
銀座線のホームは黒を基調にまとめられていて、壁面にはかつての銀座の街の写真があしらわれている。
銀座線の他の駅もそうだが、その場所の歴史などへのリスペクトが感じられる地下鉄駅は残念ながらこれからの札幌では見ることができないだろう。

中央通りを少し歩いて、ライオン銀座七丁目店でビールを飲もうと思った。
ここは昭和初期の内装が残る荘厳なホール空間で文化財にも指定されている。
以前ここに関する仕事に関わっていて何度も訪れてはいるが、
客として訪れるのは初めてで、ライオンの旗艦店らしく当時いた人も順調に出世しているように見えた。

平日の午後3時を過ぎてもほとんど空席が無いくらい混んでいたが、
大きなホールに小さな丸テーブルがたくさん並んでいる様子からは、
グループというより一人もしくは二人くらいで利用する人が多いようで、
背広姿の老紳士が一人ビールを飲んでいるのもなかなか粋なものだ。
その注ぎ方に異様なこだわりを持っているサッポロビールはさすがに絶品だった。
せっかく銀座に来たから、和光でセイコーの時計を見たかったが、
この日に限って銀座エリアの店はすべて臨時休業であった。

日が暮れてきて、京橋まで歩いて地下鉄に乗って三越前まで。
かつては日本橋室町で仕事をしていて、昼休みなどに三越本店の建築を見るのも好きだったが、
この日も三越を訪れて何を買うというわけでもないのにしばらくぶらついていた。
また地下鉄に乗って、末広町、上野、浅草など銀座線のホームを見て回る。
どの駅もリニューアル前から愛着を持たれていた意匠やアイテムなどはそのまま残されている。

終点浅草では浅草寺には寄らず、東武線に乗ってすぐ隣の「とうきょうスカイツリー駅」へ。
個人的には全く気に入らない名称なので従来の業平橋駅と呼びたい。

スカイツリーに登るというわけではなく、スカイツリータウンソラマチで土産物と思ったが適当なものも見つからず。
夕方から降ってきた雨も強くなり、スマートフォンの充電も残り2%ほどになってきたので、
半蔵門線で錦糸町に出てヨドバシカメラで充電ケーブルを買って総武線で新小岩に戻る。

新小岩駅前ルミエール商店街の中にあるサウナ「レインボー」を訪れる。
昔ながらのいかにもサウナ専用施設といった趣きで、本来なら何時間か堪能すべきだったかもしれないが、
すっかりくたびれていたので、ちょっとの滞在にして、人もまばらになったルミエール商店街を歩いてホテルに戻った。

最近また歩くようにして体力向上対策を一応はしているつもりなのだが、
以前のように10数キロメートルくらいなら歩いても全然平気というわけにもならず、
確実に体力は衰えてきているのだろうなと感じている。

 

 

2月21日(水) 京島・堀切・銀座

この日はずっと冷たい雨が降っていた。
最終日にして身体が東京の気温に順応しつつあり、寒いなと感じるようになってきた。

例によって新小岩駅から総武線に乗る。
ホームには新鮮な吐瀉物がぶちまけられている。
思えばこの数日間、朝でも昼でも夕方でも夜でも常にホームには吐瀉物があって、
こんなところも総武線、新小岩っぽいなと思ってしまう。
新小岩は馴染みもあるし、何かと便利な場所ではあったが、もし今度東京を訪れることがあれば、
JRより私鉄や地下鉄などが使える町もいいなと思っている。
以前よりはホテルもずっと高くなってしまったが。

午前8時過ぎだったから電車は非常に混んでいる。
降雪時以外はほとんど渋滞もしない街で何年も自動車通勤していると、
もう東京で電車通勤するような生活には戻れないだろうなと改めて思った。
人が密集している生活はもともと得意でなかったが、この数年の疫病禍なども経てもう対応は難しいだろう。
東京で仕事をすることはおそらくもう無いだろうから、あれこれ心配しても仕方のないことではあるのだが。

降り口の反対側に押し込められてしまい降りられるか心配だったが、
それなりに人が降りたので無事に亀戸駅のホームへ。
そこから東武亀戸線に乗り継ぎをするが、こちらは閑散としているといっていいくらいだ。
3両編成の電車はまるで路面電車のようにのんびりと下町の密集した市街地を縫うように走る。
終点の曳舟へはわずか4駅で、その間を往復するだけのようだ。

曳舟から一駅だけ乗って押上まで。駅のコインロッカーに荷物を預ける。
今日は空港に向かうまで、心ゆくまで京島や向島などの町を歩き、
最終的にやはり思い入れのある堀切あたりで荒川河川敷に出られればいいと思っていた。
しかし雨風は強く、雨粒がレンズについてまともに撮ることもできない。
傘をさしてもささなくても大して変わらず、早々に戦意喪失してしまった。

結局、京島のキラキラ橘商店街のあたりを小一時間くらい一回りしただけで、
再び曳舟駅に戻り、そこから電車で堀切駅へ。
雨風もいよいよ強くなりまた寒くもなってきて、河川敷には出る気になれず、
すぐに駅に戻ってきてしまった。ちょうどやってきた電車で浅草まで。

東武浅草駅から銀座線浅草駅への地下街は昔のままで猥雑とした「戦後」がずっと続いている。
何もかも一新しようとするのも東京らしさでもあるし、
昔から何も変わらなくてもその存在が許されているというのも東京らしいという気がする。
まだ昼前といったところでどうしようかなとも思っていたが、
どうしても諦めきれぬことがあって銀座に向かうことにした。

銀座駅のすぐ上にある銀座和光へ。
正確にはその隣りにある別館の店だが、今日はちゃんと開店していた。
札幌ではなかなか見られないセイコーの様々なモデルを一覧することができるが、
迷わず「キングセイコー」をケースから出してもらい、
試着しながらいくつかの文字盤の色とサイズを比較して、そのうちの一つを購入。
2年ほど前に出たモデルで、買おうか買うまいかずっと考えていたが、
せっかくなら銀座で買いたいなと思っていた。
これで中古品含めてここ数年あれこれ見ていたのもしばらくは落ち着くはずである。
ついでに、これまで付けていたやはりセイコーのダイバーズウォッチの精度を調べてもらったりと、
ちょっとだけ銀座らしい体験ができた。

四丁目交差点から東銀座駅まで歩き都営浅草線へ。
リニューアルの終わった銀座線と違い浅草線は昔のままで、よく利用していた頃を思い出した。
押上駅へロッカーに預けていた荷物を取り出し、再びスカイツリータウンへ行き今度こそ土産物を買う。
雨が降っているし、もともとその気もあまりなかったが、今回もついにスカイツリーには登ることはなかった。
まだタワーの根元しかなかった頃から毎日見ていたのにどうしてだろう、などと感慨に耽る間もなく、
気がつけば成田に向かう時間も迫っていた。ダイヤも乱れているという。
やはり混み合うアクセス特急で1時間も掛からず空港まで着いたが、
それからチェックインや保安検査など何をするにも長蛇の列で、
雪まつりも終わったのに、どうしてこんなに混んでいるのだろうと思いながらあっという間に新千歳へ。

昼食は13時くらいに京成立石駅前にある「てんや」にしようと思っていたが、
結局は18時くらいに新千歳空港ターミナルにある「てんや」になった(道内に唯一残存する店舗)。
空港近くの駐車場から自宅も雪がほとんど無くなっていて走りやすく、やはりあっという間だった。

しばらくは東京に用事もなく、次はいつ訪れることになるかは分からないが、
撮影以外の用事が多かったので(それが普通なのかもしれないが)、
今度はもうちょっとちゃんと街を歩いておきたいなと思う。
街並みの変化もそうだが、東京は過去と現在の自分を再確認する街になっている。

 

東京で撮ってきた写真はこちらに。
2024-02-17 東京 (全50点)
2024-02-18 東京 (全33点)
2024-02-19 東京 (全21点)
2024-02-20 東京 前編 (全41点)
2024-02-20 東京 後編 (全45点)
2024-02-21 東京 (全40点)