写真都市

Yasushi Ito Portfolio Page

2023-03-11 「仙台コレクション」(2023-03 仙台旅行記)

2023年3月4日

2023年3月4日・5日と仙台を訪れていた。主な目的は仙台文学館で行われている写真展「仙台コレクション」を見に行くためである。これは2000年頃からの仙台の街並みを1万枚を目標に撮り集められたもので、この度目標に達して展示として企画されたものだという。職場にも撮影メンバーの方からご案内が来ていて、ぜひ見に行ってみたいなと思っていた。

1月の大阪旅行の時と同じく、自宅から自家用車で新千歳空港近くの民間駐車場に停めてから空港に向かう。仙台へは1時間足らずなので、上昇したかなと思ったらすぐに降下しはじめて仙台空港へ。仙台空港は2019年5月以来だ。
思い起こせば、初めて仙台に行ったのは大学生だった2006年6月。大学行事の撮影のためでこの時は団体でフェリーを利用した。その次は2008年9月に当時住んでいたいわきから休暇を利用して、震災後の2011年8月と2014年6月にも撮影の仕事で、と何度も訪れているのに大抵は仕事なのであまりしっかり歩いたことのない、自分の中で不思議な位置にある街ではある。しかしその全てが写真に関わっている自分にとっての「写真都市」で、街の規模や雰囲気など札幌と共通する部分が多く、馴染み深い街でもある。

仙台空港からはアクセス鉄道に乗って、30分弱で仙台駅へ。早朝に家を出てきたので、どこかで朝食にしたいと思ってしばらく駅構内をウロウロしていたけど、10:00オープンの牛タン料理店は開店前からすでに行列ができていた。結局駅そばにして、文学館へ向かうバス乗り場に並ぶ。数年ぶりの仙台中心部をバスの窓から見たが、思えば今まで夏にした訪れたことがなかったので、葉の無い青葉通や定禅寺通の木々を見るのは新鮮だった。
駅からだいたい20分ほどで文学館下のバス停に着く。文学館はここから少し登った小高い山の中にある。

前置きばかり長くなってしまったが、ようやく目的である「仙台コレクション」を見始める。展示室はもちろん、館内各所も利用して本当に1万枚のモノクロ写真がある。1点あたりの大きさは名刺大くらい。すべてに撮影地が記されていて、それがポスター大にまとめられている。いくつかの写真は大きく伸ばされている他、撮影メンバーの紹介や撮影に使われたフィルムや印画紙、プリントをまとめたスクラップブックなどが展示されている。
全ては仙台市内の建物、通り、路上にあるもの、鉄道や港湾などがまっすぐ脚色なくひたすら等距離に撮影されている。展示キャプションにある通り、このスタイルが「苦痛を苦渋をともなう」ものであるということは、自分も札幌でそのような撮り方をしてきたので非常に共感が持てる。しかし、それでいてどうにもやめることができないというのも実際のところではあるが。
このような都市の冷徹に客観視した記録というものは、写真術が発明された頃からの写真の重要な使命であると思っていて、仙台の街並みを見ながら、その向こうに田本研造たちの撮った明治初年の北海道やアジェの撮った20世紀初頭のパリを自分の目の中に透過して見ていた。

それにしても1万枚というのは本当に膨大な数で気が遠くなってくる。他にも1枚1枚じっくり見る人が多くて、その多くが仙台の人だと思われ、長く暮らしてきてよく知る風景、または全く知らない風景などがあるようで、それについて聞き耳を立てるのも楽しい時間だった。自分にとってはほとんどが未知の風景なので1枚ずつ見ていると、これは現実のものに違いないはずなのに、なんだか全く架空の世界を拾い集めた図鑑のようにも見えてきて、これまでにない不思議な感覚を覚えた。全部をじっくり見るのはかなりの体力と精神力を求められるので、後半はさっと流し見するだけになってしまったが、それでも3時間ほどはかかる圧倒的な物量だった。写真とは「量にまさる質はない」という森山大道氏のことばも思い出す。買い求めた図録にもその全てが収録されていて、この先しばらくマラソンのように見続ける日が続きそうだ。

コーヒーを飲んでから、再びバスに乗って仙台中心部へ。電力ビルの前で降りて、定禅寺通、せんだいメディアテーク、国分町界隈を歩いて、この日の宿であるサウナ・カプセルホテルへ。仙台を代表するサウナ施設であるので、泊まるにはうってつけだったが、この日はホテルが混み合っていて値段も高かったというのもある。そういえば、行きの飛行機も割と混んでいた(それも女性ばかり)気がする。
チェックインしてさっそく入浴してから(とてもいいサウナと露天風呂だった)落ち着いてから、夜の国分町に出る。土曜の夜だから多くの人で賑わっている。でも、異様な雑踏と熱気に溢れていた2011年の夏を忘れることはできない。夜は一応牛タンにして何杯か飲んでから、再び国分町や一番町あたりを撮り歩く。文化横丁付近は昔の感じのままだと思うが、飲食店がたくさん集まっていて若い人々で賑わっている。
仙台駅前または西公園などの方には出なくて、結局今までの仙台旅行の時と同じようなところを歩き回った。

 

2023年3月5日

夕方5時の飛行機まで時間はあるので、どこを歩こうか。とりあえず朝の国分町などを抜けて仙台駅のコインロッカーに荷物を預けてから、
そういえば、今まで行ったことの無かった仙台城跡(青葉城)に行ってみようと思った。地図アプリによると地下鉄の国際センター駅から山道を30分ほど歩けば到着するという。

国際センター駅は広瀬川を越えたすぐの小高い丘の上にあって、トンネルから出てくる地下鉄や広瀬川の向こうに仙台都心の街並みが見える。そこから山を登ろうと思ったが、城址への道は通行止めになっていた。さらに数キロ迂回して何時間かかるか分からなかったので、再び地下鉄に乗って終点の八木山動物公園駅へ。日本一の標高を誇る山の上にある地下鉄駅なのだという。ちょうどいい時間のバスが無かったので、タクシーに乗って山頂まで。1000円弱で10分ほど。結構な山道だったのでタクシーにして正解だなと思った。

有名な伊達政宗の騎馬像は2022年3月の地震で破損してしまい、修復中のため見ることはできず、残念がる観光客も多かったが、ともかく仙台城跡からの眺望はなかなかに素晴らしかった。遠くには巨大な仙台大観音や太平洋も見える。
次は海まで行ってみようと思った。

再びタクシーで山を降りて八木山動物公園駅まで。東西線に乗って、次は東の終点荒井まで。この区間は3年前にも乗っていて、荒井駅にある震災に関する資料室を再び見学した。次の目的地へのバスの時間まで、当時被災されていた解説員の話を聞くこともできた。3月11日を前に結構な見学者がいて、地下鉄駅にこうした施設があることは非常に意味があることだなと思った。

荒井駅から「震災遺構仙台市立荒浜小学校前」行きのバスに乗る。乗客のほとんどはそこへの見学者だった。荒井駅周辺は市街地になっているが、水田や畑が続く他はまっさらな土地が広がっている。
バスに15分ほど揺られて終点の荒浜小学校前に着く。ここも小学校の他は周りに建物は一つもなかった。しかしここは、あの震災の前までは荒浜の集落の中心地であった。江戸時代から続く2200人ほどが暮らしていた集落が全く消え去ってしまったという事実に慄然とする。あの震災の日も「仙台市荒浜に数百から千の遺体が上がっている」という衝撃的なニュースがあって、その全容が見えてくるまでしばらく信じられなかった記憶がある。
震災時の個人的な記録はこちらに。

校舎は震災時、その後避難所になった当時のままに保存されていて、1階と2階の一部も津波の爪痕がそのままに残されている。教室はよくある現代の教室という感じ。卒業式の頃だったから装飾や寄せ書きのようなものも残されている。最近は小学校に関する仕事をしているので、非常に身近な空間という感じがするが、それゆえにその苦難がリアリティをもって訴えかけてきて、様々な感情が一気に駆け巡った。
震災と戦災では大きく異なるかもしれないが、広島の平和記念資料館で受けた衝撃に近いものも感じる。津波が襲ってきた15:55で止まった時計を見ながら、8:15で止まってしまった懐中時計を、震災前の集落を再現したジオラマから、やはり広島市の大きなジオラマを連想してしまった。

最後に校舎の屋上に登る。何もなくなってしまったただただ広い土地や海がよく見える。集落の中心には貞山堀だけが変わらず流れていて、堀を中心とした歴史ある漁村がもし残っていたら、歩いていて楽しい場所だったろうなということを想像した。また、震災時は児童全員がここに避難して、家族が迎えに来た結果犠牲となってしまった1名を除いて無事救助されたという。元々津波のリスクが想定されていた場所ではあったので、日頃から準備や訓練は行われていたというが、もし自分がその場にいたら、この学校の関係者のように適切な避難指示ができていただろうかということも考えていた。とにかく3月11日を前にここを訪れたことは自分にとって大きな意味があった。

小学校から数百メートル歩くと、津波によって破壊された住宅基礎が残されていた。それから慰霊碑や観音像も。集落のあった場所は広大な防災公園のようになっていて、レジャーに訪れる人も多いようだ。

最後に海岸に出る。波はやや高く、海から吹き付ける風が冷たい。そして雲ひとつない青空が印象的だった。あの日の天気はどのようなものだったのだろうか。帰りのバスの時間を気にしながら海岸を後にする。
またバスで荒井駅に戻って、仙台駅を経由して仙台空港まで。やはり1泊2日では駆け足にはなってしまうが、これまでの訪問では得られなかった密度の高いものだった。次はいつになるか分からないけれど、何らかの用事で数年おきに訪れているので、そのうちまた機会はあるかなと思っている。

写真の方はまた後日まとめてみたいと思います。