写真都市

Yasushi Ito Portfolio Page

2022-02-19 格子状の迷宮(2022年2月執筆)

2022年1月27日から2月8日まで第9回「群青 gunsei」というグループ展が行われ、その中において私は「ススキノ Grid-like Labyrinth」題して、この10年ほどの間にススキノで撮影した236点をポスターにして展示した。展示した場所はこれまでギャラリーのバックヤードとして使用されてきた3畳ほどの小部屋で、通常のギャラリーとは違う空間をどう使うかといったところから今回のシリーズがスタートしたとも言える。

頭の中にあったのは2017年11月に行われた「都市標本図鑑」というグループ展である。それはOYOYOという札幌都心の雑居ビルにあったイベントスペースを、6人のメンバーで街の写真で埋め尽くして、もう一つの街をつくりあげようという試みだった。だんだんと広げた風呂敷が大きくなってしまって、プリントや搬入は非常に苦労したが、インパクトのある空間をつくることができたと思っている。

このときよりスケールはずっと小さくなるが、この小部屋に写真を埋め尽くして「もう一つの街」にしたい、それならできるだけ雑多で猥雑な街がいいということで、テーマは国内随一の歓楽街である「ススキノ」でまとめようと自然と決まった。また元々そういう意図で撮り続けていたわけではないが、結果としてこの10数年でススキノの写真のストックもたくさんあったので、一度まとめてみたいというのもあった。仕事や遊びでススキノに日常的に足を踏み入れるようなったというのも大きい。

前置きが長くなってしまったが、今回も展示に用いたキャプション文を引用して、改めて今回の作品について考えてみたい。

 この部屋の壁を埋めたのは、2010年頃からつい先日までの、札幌市中央区の1キロメートル四方に満たないごく狭いエリアでの記録である。

 大通から南へ進み、南4条の都通や国道36号を越えると、もしくは他の方角から創成川や電車通りなどの「一線」を越えると、雰囲気は一変して、札幌らしい見通しのよい格子状の街並みのはずなのに、なんだか簡単には抜け出せない「格子状の迷宮」に入り込んだ気持ちになる。

 とりわけ新陳代謝の多い街で、街の名の由来となった薄野原(諸説あり)や遊郭の土塀、もしくは好景気の時代の様子などは想像を試みるしかないが、今日もテーマパークや舞台の書割のような、華やかながらどこか嘘や哀愁のある街並みや、そこを行き交う人々のありように惹かれ続けていて、今まで多少の浪費はしてきても無駄ではなかったなと都合よく考えている。

 夜と昼、休日と平日、そもそも人の流れの差が大きな街だが、世の中の人の流れがすっかり変わってしまった今、街とは人々の姿もしくはその気配があってこそのもの、そこに惹かれ続けてきたのだと改めて感じている。

  キャプションにはやや気取ったことを書いてしまったが、ここで私とススキノの深くも浅くもない関わりを振り返ってみたい。
2004年から2008 年までススキノからは川を越えてほど近いところにある大学に通っていたのに、その頃はあまりススキノを撮ったものが少ない。今より客引きは多かったが、そこまで治安が悪かったということもなかったし、たまに居酒屋に飲みに行くくらいはしていたが、当時はあまり撮り歩く対象の街ではなかったのかもしれない。今になってその頃のススキノも見て記憶しておきたかったと後悔している。

2011年頃からもう一度札幌の街をしっかり撮りたいと思うようになった。これには当然ススキノも含まれて、現在まで断続的に、とりわけ2020年頃からは集中的に撮ることになった。昔よりは様々な業態のところに遊びに行くようになったせいかもしれない。またこの近くに友人と仕事場を持っていたことも大きい。そうでなくても、やはりススキノは他の街とは性質を異にしていて、その雑多な街並みや人々の有り様などは何回撮り歩いても終わるということがないし、飽きることもない。一通り飲み終わってから夜更けの街を撮るには非常に楽しいが、写真の出来がいいかどうかは全く別の問題である。

奇しくもこのシリーズを意識し始めたタイミングで、COVID-19というものが巷に出回るようになり、ススキノはその影響を最も強く受けることになる。こんなことになっても、相変わらず出歩いている人は出歩いているのだが、すっかり人のいなくなってしまったススキノを歩くと、これまであまり強く意識してこなかった、人々の姿・気配があってこその街という、あまりに当たり前のことに気付かされる。これまでずっと街を撮ってきた理由が実はこの辺にあったのかもしれない。

「街はミュージアムであり、アートそのものである」というのは写真家・森山大道のことばである。どんなアートよりも、街にあるものの方が遥かにエキサイティングで魅力的だともいう。ススキノを歩くとそれを感じる。キャプションにはテーマパークのようだとも記したが、短期間でかけ変わってしまう看板や(逆にずっと変わらないものもたくさんある)、すっかり少なくなった客引きや、これから遊びに仕事にとこの街にやってくる人々のありようなど、テーマパークのようでもありミュージアムのようでもあり、その他にも様々なものに例えることができるのだろう。

それらの事象をポスターに組み込んで、壁いっぱいに貼り出して、赤やピンクの照明を当てて自分なりの「もう一つのススキノ」をつくり出す作業は楽しいものだった。これまで展示のたびに何か違うものにしたいと様々な手法を試してきたが、また一つ手数を増やすことができたかと思っている。また、いつもと写真の感じが違うとの感想も多くいただき、撮り方や選び方という意味でも新たなものができたかと手応えを感じている。

しかしそうなると、また違うことをしたいという困った性質ではあるが、とにかく程度や頻度は変わっても、今日も変化を止めないススキノを撮り続けていくのだろう。