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20.08.16 羊をめぐるあれこれ

羊をめぐるあれこれ

 

2020年8月12日から14日まで休みを利用して、
札幌から稚内へ、そして士別や名寄などを巡った。
例年、夏季休業中は暑さを避けるため道内旅行することが多く、
昨年は函館に滞在していたが、今年は道外に出ることもできないので、
どこに行こうかとしばらく考えていた。

北海道に生まれ育っているのに、昔から札幌周辺しか知らなかったが、
やはりこの広い北海道のことを知る必要があると思うようになり、
また長距離移動にも耐えうる自家用車を手に入れたということもあって、
この春からまずは札幌を中心とした道央圏をはじめに、
色々な町を巡るようになっていった。
実は同じような気分になったことは2014年の秋にもあって、
その時以来に訪問した所も多い。

話を戻すと、いまだ自分にとって未知の場所は、旭川市や留萌市より北の地域、
また帯広市や釧路市にも行ったことはあるにはあるが、
もう8年ほど前のことでごく短時間だし、北見市も仕事で行っただけ。
よって道東・オホーツク地域もほとんど未踏ということになる。
細かく見ていくと訪れていないところばかりだが、
それらを全て巡るのは難しいので、今回は道北地域にフォーカスすることにした。

8月12日(水)

札幌市の自宅からさっさとワープしたかったので、
まずは道央自動車道・深川留萌道を経て留萌市まで
(もっとも国道231号経由でもあまり所要時間は変わらないが)。
留萌市は先日撮り歩いたので、新しくできた道の駅を訪れただけ。

そこからは国道232号にそってひたすら北上する。
先を急ぎたかったので羽幌町・初山別村・遠別町など通り過ぎるだけだったが、
天塩町ではせっかくなら天塩川の河口を見ておけばよかった。
国道232号はその天塩町で内陸部に折れるので、
道道106号にルートを変えて引き続き日本海側を走り続ける。

どこまでも続くような直線がサロベツ原野の中を突き抜けている。
気温は20℃ほどで強風も相まって若干の肌寒ささえある。
例年よりはずっと少ないのかもしれないが、集団でバイクツーリングする姿も目立ってきた。
沿線には風力発電所の風車がたくさん見られたが、
幌延町にあるオトンルイ風力発電所にはとりわけ多く、そして大きな風車が並んでいて、
車を止めてその威容を眺めていた。
日本海側は確かにどこも風が強くて、原野には低い木となだらかな丘が広がるばかりだ。.
夏場に走るには快適そのものだが、それはすなわち地吹雪多発地帯になるようで、
厳しい冬場のことは考えたくもない。

稚内市に入り、途中その存廃が問題になっている抜海駅を訪れてから、
稚内市街地の北端である野寒布岬へ。
あっさり到着してしまった感じもあるが、少しくたびれてきた。
日没まではまだ時間があったので、高台にある稚内公園から街を眺めたり、
北防波堤ドームで少し写真を撮ってから、南稚内駅近くのホテルにチェックイン。
この辺りは稚内随一の歓楽街とされているが、人口規模の割にはちょっと寂しい感じもする。
それでも通りをしばらく行き来して、評判のいいモツ鍋店に入った。
北端の街でモツ鍋と九州の焼酎というのも変な感じがするけど、
店の感じと味は口コミどおりなかなか良かった。


 

 

8月13日(木)

8時頃にチェックアウトして、まずは稚内駅前の駐車場に車を止める。
稚内駅は道の駅やバスターミナルなどとの真新しい複合施設で、
車中泊の人も多いのだろうが、駐車場はほとんど埋まっていた。

霧雨というほどでもない程度の湿った空気の中、
まずは稚内駅周辺の街を歩き始める。
この周辺は1950年頃に丹下健三が街路や官庁の配置を策定したものだが、
非常にオーソドックスな内容ですっかり馴染んでしまっているので、
知らないとその特徴を見出すのは非常に難しいと思う。

それにしてもこの辺が市役所やアーケード商店街がある中心街のはずなのだが、
古くも新しくもない建物が、疎でも密でもなく続いていて、
せっかく北端の街に来たのに薄味で淡白だなという印象を抱いてしまう。
それでもキリル文字が併記された街路看板などには異国情緒を感じるし、
こういう印象を持った街もあまりないので、それも含めた北端の味なのかもしれない。

稚内港もしばらく歩いてから、「稚内樺太記念館」を訪れる。
1945年まで日本領であった南樺太に関する資料が分かりやすく展示されている。
私はなぜか昔から樺太(サハリン)に対する憧れがあって、
以前稚内とコルサコフの間にフェリーがあった頃に渡航しようかと検討したこともあったけど、
色々面倒なこともあって結局そのままになっていた。
その後はやはりフェリーは採算が合わないのか休航になってしまったし、
ましてやこの疫病下では航空機を含めても渡航も難しいので、そのまま憧れで終わりそうではある。

それでも、時折写真で見る荒野と日本とロシア(ソ連)が入り混じった町並みを見てみたいし、
もし戦後も日本領だったらどういう発展(もしくは衰退)をしていたんだろうという妄想もしてしまう。
個人的にはどういう道を辿っても樺太を領有しながら、
東西冷戦時代を生き抜くのは難しかったと思うし、
現実のロシアによる南樺太領有と北方領土の実効支配でまだマシだったと思わなくてはいけないのかもしれない。

稚内の街を出て、次は(択捉島を除けば)国内最北端の宗谷岬を目指す。
その前に宗谷丘陵にも立ち寄って、砕いたホタテの貝殻を敷き詰めた道を走ったりもした。
道はグラウンドに引く白線の石灰粉のようで靴裏やタイヤはすぐに真っ白になってしまう。

この日はずっと霧で、宗谷丘陵に立ち並ぶ風車の先もよく見えないほどであったが、
丘を降りる途中で雲が切れた瞬間、遠くに島影が見えて「あれがサハリンか」とも思ったけど、
方角的にはクリリオン岬ではなく野寒布岬のようである。

再び霧が立ち込めてきた宗谷岬はさすがに観光客で賑わっている。
それでもきっと例年よりはずっと少ないのであろう。
宗谷岬の先は浅瀬が続いていて波も静かである。
地図を見れば一目瞭然ではあるが、なんとなく宗谷岬も断崖絶壁を想像していたので、
勝手にあっけなさも感じた最北端への到達であった。

宗谷岬にある当然に最北端のガソリンスタンドで給油してから、
国道238号をオホーツク海に沿って南下する。
空も晴れてきたが、気温は20℃ほどでやはり冷涼で快適である。
車の交通量もそれほどなくていくらでも飛ばせそうだが、
初めて見るオホーツク海の方が気になって、何度か車を止めた。
海は非常に穏やかで、この海に流氷が押し寄せるという想像も今は難しい。

猿払村の集落を過ぎると、国道に「通称『エサヌカ線』はこちら」という看板が見える。
なんの事かと思ったが、Uターンをして看板に従って海側へと進む。
正式名称は「猿払村道浜猿払エサヌカ線」というらしい。
エサヌカは枝幸なんとかの略称かとも思ったが、そうでもないらしい。

道の両端には牧草地があるだけのおよそ10Kmほど続く、
他には何もない(電柱や矢羽すらない)とにかく直線の道路で、
いわゆる「北海道らしい」風景としてライダーの間などでは有名な場所のようだ。
コマーシャルのロケ地にもなっていたらしい。
こういうところも滅多に訪れるところではないので「北海道らしさ」を感じながら走り抜けた。

浜頓別町や枝幸町中心部を抜けて、そこからは内陸部へ。
ある思い出から一度、歌登という町を見ておきたかったので、
わざわざルートに組み込んで走ってみた。
この歌登に限らないけど、こう色々な町を走っていると、
おそらくもう二度と訪れることは無いんだろうなと思っていると、
長距離のドライブも決して退屈するということはない。

道道120号で山を抜けると、美深町仁宇布(にうぷ)という小さな集落に出る。
スバルの実験施設もあるらしい。
ここも冬は寒くて、実験のための理想的な凍結路ができるのだろうと想像するのは難しくない。
その集落から更に奥に進んで、蕎麦畑の間を抜けると、
小さな羊牧場とペンションがある。
その様子は村上春樹の「羊をめぐる冒険」に出てくる山小屋の雰囲気そのもので、
ここもハルキストたちの聖地として知られているが、
ペンションができたのは小説が発表されたずっと後のことらしい。
それでも同じような風景を作るのは難しいから、雰囲気を味わうためにわざわざ訪れる価値はある。
小説のように、少し遠くにいる羊の群れの中から背中に星の模様がついた羊を探してみたが、
もちろん見つけることはできなかった。

美深町の中心部には出ないで、智恵文や名寄市街地を経て、宿をとった士別市まで。
もう日が暮れて、それなりに疲れてはいたが、
食事もまだだったので夜の町に出ることに。
ちょっとした飲み屋街の他は町は真っ暗でほとんど人通りもなく、
いくつかある商店はもちろんシャッターを下ろしているし、
いわゆるロードサイド店舗やコンビニなども殆どない。
なんだか山中を走っている時よりも孤独な気分になるが、
そういう気分も旅の醍醐味なのでなかなかやめられない。

結局適当な店は見つけられず、ホテルの近くにあったセイコーマートで調達したが、
割り箸もスプーンもつけてくれなかったので(無料配布のビニール袋も渋られた)、
食事にはちょっと難儀した。これもまた醍醐味。

 

8月14日(金)

この日はまず朝9時に士別ターミナルを出る士別軌道の路線バスに乗る。
この便は1980年代に作られたモノコック構造のバスで運行されていて、道内唯一の貴重な存在だという。
色々調整した結果、乗れるのがこの日だけで、このために士別に泊まったようなもの。

そういえば子供の頃にはまだこんなバスが残っていて、懐かしい気分になる。
バスは郊外の温根別を目指して大きなエンジン音を上げながら国道を走る。
乗客は自分の他はおそらく同好と思われる人が一人だけ。
終点はある酪農家の牛舎の前。実に絵になりそうな場所である。
敷地内で転回してまた町に戻る。
この便は特にイベントではない通常の便で、帰りには様々な年代の女性4名の利用があった。
街の規模の割にはバス路線が結構充実しているという印象もある。
帰ってきたバスターミナルで乗車証明書や記念品をもらった。
このバスも貴重な観光資源で、関係者が様々な努力をしているのが印象的だった。

昼の町を少し歩き回ってから、次は丘の上に登り、羊牧場や世界のめん羊館を見学。
ここにも星模様を背負った羊はいなかった。
しかし羊にえさをあげたりして触れ合ってから、
レストランでラムステーキを食べるというのは何だか倒錯している気はする。
ちなみにラムステーキ用の羊肉はオーストラリア産とのこと。
士別産サフォークラムは若干値段が張る。

士別の丘から農村地帯を、やはりどこまでも続く直線道路を通って名寄市まで。
市中心部にある西條デパートの駐車場に止める。
名寄は道北の中心という感じのする集積と活気があって、
撮るべきものがたくさんありそうだ。
その独特な町並みというか文化のようなものを象徴しているのが、
その西條デパートなのかなと思ったりもする。
店構えは昔の西武デパートや西友のようで(かつては西武グループと関係があったようだ)、
イオンのショッピングモールもできたというが、
お客は結構多くて、いまや珍しい独立系の小売店として根強い顧客がいるのだろうと思った。

中心部の飲食店街や市場などを夢中になって撮り歩く。
自衛隊や製紙工場のお客が多いのかもしれない。
商店の他には大きな病院などもある。
今回ようやく「街」という感じのところを歩いた気がして、
やはり自分はある程度の規模と機能が備わっている街が好きなんだろうなと思った。

夕方になってきて、そろそろ札幌に帰らないとなと思っていたが、
最後に美深町も見ておきたかったので、さらに北上する。
美深駅のまわりには「羊をめぐる冒険」にある通り、レンガ造りの倉庫が並んでいて、
文中では「いかにも面白みがない」とあったが、
ここも名寄に劣らずなかなか趣深い町並みである。
人はほとんど歩いていなかったが、街頭放送からはなぜか15年ほど前のヒット曲が流れていたり、
やたら「キリスト看板」が貼られた家屋があったりと、色々と印象に残る町であった。

市街地からさらに北上したところにある道の駅で土産物を買ってからは、
日も暮れてきたので、今度こそ札幌の自宅に帰ることに。
グーグルマップで調べると国道275号経由で最速4時間半ほどだという。
そんなに順調に行くか分からないし、途中で休憩もするだろうから、6時間ほどは覚悟しておこう。
しかし道中には信号も他の車もほとんどなくて、
そこまでスピードを出さなくても(巡航時速何キロメートルかは言わない)、
朱鞠内湖畔や蕎麦畑広がる幌加内町を抜けると、
いつの間にか沼田町でようやく信号機に引っかかる。

たぶん長距離移動が続いて感覚がおかしくなってきているのだろうけど、
沼田まで来ると、ほとんど札幌に着いたのも同然という気分になってくる。
実際は道中のちょうど半分くらいで札幌までは100km以上もあるのだが、
それほど順調に進んできたということでもある。
さすがに当別町に入ってきたくらいには交通量も増えてきたのだが、
国道275号の終点である札幌東橋までは結局4時間ほどで、
自宅へも本当にグーグルが言う通り4時間半ほどで到着してしまった。

一種のドライバーズハイのような状態になっていたのかもしれないが、
高速道路を含めて、これほどの距離を一定速度で走る機会にもなかなか恵まれないので、
あまり疲れを感じることはなかった(ちなみにオートクルーズ機能の性能は悪くてやはり使い物にならなかった)。
それでも家に着いてしまうと、疲れは出てきて、少し飲むとすぐに寝てしまった。

来年の夏休みの頃、世界はどういう状態になっているか分からないけど、
来年もまた北海道のどこかを訪れてみたいと思う。
今回は最北端を目指したので、次は車で行ける最東端の納沙布岬が有力だけど、
まったく別の町に出かけているかもしれない。
いずれにしても体力と暇があるうちは北海道のスケールを感じられる旅がしたいものだ。