写真都市

Yasushi Ito Portfolio Page

2018-02 この10年を振り返る

2018年2月4日に終了した「群青-ぐんせい-」は写真を中心とする展示だったが、
その中で私は「写真都市2007~2008」として、
今から10年ほど前の写真を改めてセレクト、プリントしたものを展示した。

そもそもこの展示のお誘いを主宰の丸島氏から受けたのはおよそ1年前で、
当時は2017年を「充電期間」に充てるつもりだったので
(もっともこの頃には「都市標本図鑑」のプロジェクトが始まりつつある頃でもあり、
結果として全く逆の「過放電」ともいうべき状態に終わったが)、
あまり積極的にはなれなかった。
また「モノクロ写真でいきたい」という意向というか希望のようなものもあり、
近年はあまりモノクロフィルムでも撮っていないしなぁという気持ちがより消極的にさせた。
それでも「デジタルのモノクロでもよい」という提案には乗ることができないという実に面倒くさい状態であった。

そうした中であったが、やがてやってみたい展示というのがひとつ自分の中に立ち上がってきた。
前年の2016年にフィルムスキャナーを導入して、
過去のフィルムをデジタルデータ化している過程にあったので、
これを一度形にしてみたいというもの。

また、展示は2018年の初頭だから、
ちょうど10年前の2007年から2008年頃のものがいいだろう。
一度端緒がつかめるとすんなりとイメージとコンセプトを組み立てることができた。
10年前の写真を見返してプリントすることで、
これまで変わったもの、また変わらなかったものが見えてくるかもしれない。
自分自身を振り返る上でもいい機会になるかもしれない。
そんな気持ちが出てくるようになる。

2007年初頭から2008年初頭(概ね2007年度)は自分にとってどういう年だったか。
当時私は大学4年生で、前年に卒業単位のほとんどを取得してしまったので、
就職活動はあまり真面目にやらなかったが、相変わらず街を撮り歩いたり、
撮影のアルバイトに精を出したり(結局そのままアルバイト先に就職することになった)
と今とあまり変わらないような写真が中心にある生活だった。
また2008年には初めての個展を予定していたので、
それを意識した写真も撮っていたように思う。

そして2008年春には生活の変化もあって、
実にあっさりとデジタルカメラに移行してしまったので、
2007年度はフィルム中心に撮っていた最後の年とも言える。
今思うと、様々な面で過渡期の中にあって、
ここで一度まとめるにはいい機会となるかもしれないと思った。
また後で詳しく書きたいが、
構図など撮り方や対象についても今とつながる転機にある時期だったように思う。

さて、コンセプトがつかめたところでその時期のフィルムを集中的にスキャンすることに。
2017年の夏場は例年になく時間が取れなかったが、
それでも8月頃には候補の200枚をLサイズでプリントする。
デジタルデータからつくるプリントも悪くない。
展示用のプリントも試作して、
それはそれで悪くないものにはなったが、
クオリティ面での懸念と周囲との調和なども考えて結局は銀塩の手焼きプリントに落ち着く。

当時のベタ帳(インデックス)には、選んでプリントしたことを表すマークがしてあるが、
今回はそれと随分と異なるセレクトとなった。
今の目で見ると当時は気に留めていなかったものが面白く感じたり、
また今見るとそれほどでも…というものも少なからずある。
それでも当時出展していたものから再度プリントしたものもそれなりにあり、
そのほとんどは今回ご覧頂いた方にも好評のものであったので、
「スタンダード」ともいうべき部分も実はあるのかもしれない。

それにしても、同じ札幌を歩いているはずなのに、
今とは随分異なる撮り方をしている。
今はある意味でパターンに嵌ってしまっていて、
横位置で正対しているものだったり、
通りを遠くから広くおさめているものばかりだが、
当時は縦位置も多く、構図や焦点距離も様々。
今ほど強いこだわりを持っていなかったのだろうが、
また自由な発想で撮ることも考えなければと思わされる。
その反面、現在のようなスタイルの写真も徐々に増え始めていて、
そういう面でも過渡期にあったのかなと思う。

現在は被写体に対して関心や知識が中途半端についてしまったので、
被写体のことを考えながら、それこそ「標本」採取のように撮るという感じである。
対して当時はまだシンプルに「写真を撮りたい」という気持ちの方が強く、
また身近な人々が写っていたりもするので、
そうした要素も自分の中に取り戻していなければと思っている。

今回は63点を展示したが、合計で4回暗室をお借りすることになった。
プリント自体は1年ぶりくらいなので、
その辺の段取りはしっかり覚えているが、
なにぶん沢山のプリントを限られた時間で焼かなければならなかったので、
なかなか骨の折れる作業となった。

予算の都合もあり、
比較的安価(それでも1o年前の2倍くらいの値段)で取り扱いの簡単なRCペーパーを100枚用意して、
セレクトしたコマを次々と焼いていく。
時間が足りないので、少しくらいの失敗には目をつぶって、
露出も厳密に取らないで、まだ少しだけ残されている当時の勘に頼って、
プリンターになったような気持ちで出力していく。

昔はもっとこだわって焼いていたので、
なんともジャンクな仕上がりとはなったが、
一通り焼き終えて並べて印画紙を乾燥させると、
なんとも言えない達成感・充足感がある。
ストレス解消にたまに暗室に入ってみるのもいいかもしれないと書きたいところだが、
実際はストレスになるというか見た目以上に消耗することを暗室に入る人々はよく知っているはずだ。

四切サイズで約80枚を焼いたところで、
ここから更に点数を絞り込んで大伸ばししたいと思っていたが、
もう残り時間も予算も心もとない。
また約1年というタイムスケールから数点を選ぶこともあまり意味のあることとも思えず、
結局は与えられたスペースに無理なく展示できる63点だけをセレクトすることにした。
思えば、初めて展示した頃から私の場合は作品点数が多いので
(直前の「都市標本図鑑」ではついに80枚に達してしまった)、
そもそも何点かを選ぶというのも無理な話なのかもしれない。

そして、展示会場の温度湿度に悩まされながらも、
何とか作品の搬入を完了させる。
展示方法も印画紙をピンで留めただけのやはりジャンクなものだが、
その方がこのプリントにはお似合いだし、
雑多な都市を表現するには適したものだと考えることにしている。

並んだものを眺めてみる。
既に失われた風景やものを中心にセレクトしたので、
写真の中から色々なことを語りかけてくるような気になる。
また当時から変わらなかったものや、当時は最新だったものも様々なことを思っているに違いない。
また10年前から現在までの自分自身についても色々と考えさせられる機会となった。

当時は何も気にしていなかったものも例えば10年経つと、
重要な「記録」として意味を持ってくる。
それ故に「もっとこう撮っておけば」などと思うこともあるのだが、
これからも失われていくであろうものを、または変わらないものを、
いつもと変わらぬ歩幅で撮り続けていくしかないのだろう。

街や人々は変わり続ける中で、
こういう単純にしてもっとも重要な「記録」という写真の機能を再認識させてくれる展示とすることができた。
そして形はどうあれ「写真都市」はこれからも続いていくのだろう。