写真都市

Yasushi Ito Portfolio Page

2012~2016 Facebookに投稿したもの

Facebookに投稿したもの

 

(12.12.30)
昔は、自己満足のためだけに写真をやってはいけない、
他者に何か作用するものでなければならないと偉そうに言っていたけど、今では逆に言われるべき状態になっているかもしれないなぁ。というわけで色々考え中。

 

(13.05.08)
フィルム現像を失敗して最悪のコンディションだが、もう一枚。2001年くらい。
この時期は友人などを撮ったものが多いけど、もっともっと撮っておけば良かったと今になって思う。
自分は暗室で焼けたからまだマシだけど、1本400円くらいのモノクロフィルムや、
カラーフィルムと現像同時プリントで1000円くらいというのは、高校生の小遣いではなかなか大変だったはず。
その点、今の高校生はスマートフォンとかで一眼レフ並みの画質のが何枚でも撮れるので、
ガンガン撮ってほしいけど、多少かかってもプリントするのも忘れてほしくないね。
やっぱり紙にしてみんなで回して眺めるが「写真」で、
そうでなければ相当意識しないといずれ消え去ってしまう「画像データ」でしかない。
最近ではクラウドもあるけど、 東日本大震災における大津波から最終的に残ったものは(銀塩で)プリントされた「写真」だった。

 

(13.06.09)
撮りたくない、と思い始めたら自分はもう終わりだと思うんだけど、
「にも関わらず撮る(森山大道)」しかないですね。

 

(13.06.10)
街を歩くときには、いつも「界隈」というのを意識しています。
特に札幌の場合は「○条○丁目」という表記が多く、即座にイメージできないときがありますが、
必ず「山鼻」や「円山」などといった通称があり、
例えば、 「南16条西15丁目」=「西線16条界隈」でも受ける印象が変わってきます。
その街といえば…と連想できることを「イメージアビリティ(イメージされる可能性)」といいますが、
逆に「○条○丁目」でパッと思い浮かぶのが、本当の「札幌っ子」なのかもしれません。

 

(13.07.09)
ようやく「日本写真の1968」の図録をゆっくりと開く。
前史として明治初期の北海道開拓や長崎の原爆投下直後の写真に始まり、
中平卓馬や森山大道らプロヴォーク界隈の新たな表現、傍らに流れる荒木経惟や午腸茂雄らのコンポラ写真、
続いて過激化する学生運動の記録という、時代同様に混沌とした写真たちが続き、
最後に静かな存在感で提示されるのは東松照明の「太陽の鉛筆」。
やっぱり日本写真の「戦後」と「現代」を分けたのはこの「太陽の鉛筆」なのかな、とやや曖昧なことを考えています。
沖縄の本土復帰後の1973年発刊というのが引っかかっているせいかもしれませんが。
それとも荒木経惟の「センチメンタルな旅」とも迷うところですが。

音楽の世界と一緒でやっぱり60年代後半のものがいまだに一番の存在感を持っているのかもしれません。

 

(13.07.28)
あれこれ作業しながら昨夜、小一時間ばかり撮り歩いたススキノの写真を見てみた。
多分にアルコールの後押しがあったのだろうけど、 割と軽快でいい感じなスナップになっている(しかも珍しくちゃんとピントもきている)。
思えば、最近は夜の、しかも大勢の人が出ている金曜(しかも花火大会の後だった)のススキノを撮るのは久しぶりで、
やはり札幌の街を撮る事をライフワークにしているのだからこの街を外しちゃいけないと思った。
どこかで飲みながら撮ると更に良し。
個人的には夜の歌舞伎町や銀座よりも面白いと思っているので、
最近また路上に戻ってきた客引きに怯まずに定期的に撮りたいと思う。

 

(13.08.02)
夏休みに入りました。 朝晩の地下鉄は空くようになりましたが、
それと入れ替わるように、国内各地・世界各国からの観光客の姿を多く見るようになりました。
昔からの疑問なんだけど、札幌で「観光する」ということはどういうことなんだろう。
確かに夏の爽やかな風やグルメなんかは世界に誇れるものだけど、
その他に遠い国からわざわざ見るべき名所のようなものは?

赤レンガ・時計台、大倉山あたりを見て、小樽や道外各地に流れて行くというのが定石だろうか。
ちょっと涼しい季節に、西創成や山鼻、菊水・豊平辺りを歩くのが個人的に最高だと思っているけど、
一般的にはとても受け入れられるものではないだろうし…。

東京や沖縄だといわゆる観光地以外に見るべき・歩くべき場所がいくらでもあったけど、
札幌の場合は今ひとつ客観的に面白そうな場所というのが思い浮かばない。
そんな事言いながら、10年以上札幌の街を撮り続けているんですけどね。

 

(13.08.12)
というわけで(仕事を離れた)写真ばかりの一日だったけど、
最近、写真は「趣味」と言っていいのか、あれこれと考えている。
街歩きなどは完全に趣味といってよく、そもそもカメラも街歩きのお供という感じで、
カメラなんかにあまり関心があったわけではない(今でも最低限度の機材しかないけど)。

やっぱり写真やカメラが趣味というのなら、レンズも広角から望遠まで一通り持ってるべきだろうし、
被写体を選ばず、自然風景でも花火でも「キレイ」に撮らなければならないんだろうけど、
この10年間、結局ほとんど関心が向かなかった。

もちろん、作家でもないのに今どき暗室入って、バライタプリントするなんて「趣味」意外の何者でもないし、
写真ほど多様なメディアも無いので、楽しみ方、利用の仕方は様々で何かを規定する必要は全く無いんだろうけど。

ただ、有形無形に写真を悪用しようとするのがいると、何か言いたくなっちゃうだけ。

 

(13.08.15)
色々と作業しながらも、なんとなく追憶モードな一日でした。
カッコつける言い方をすれば、写真をやってる人間なんか、数十年前も1000分の1秒も全く同等に、
常に過去と向き合っているような人種なのかなぁとも思ったり。

自分が理論化しようとしている「写真都市」はどこまでもフラットである意味で等価である、
ということを実証しようと、あれこれ考えています。

でも、森山大道さんが記した一言にすべてはまとめられているような気がします。
「過去は常に新しく、未来は常に懐かしい」

 

(13.08.15)
こうして自由にものを考えたり、好きな場所へ自由に出掛けて、
写真を撮ったりできることを感謝せずにはいられない一日です。
そもそも経済的に窮乏化して感材も手に入らない、要塞など軍事施設のある街では写真を撮る事ができない、
何より「贅沢は敵」とする当時の雰囲気の中で、自分のような人間は生きていられたのかなぁと色々思うわけです。

それでも、どんな状況でも「日常」は淡々と続いていくのかなぁと、
玉音放送が流れるラジオの前で泣き崩れる人々の後ろを、スタスタと他の人々や馬車なんかが普通に通り過ぎている光景を、
毎年見ながら同時に思ってます。

 

(13.09.21)
写真展というと、外形的にキレイに作品を仕上げて壁に掛けて、
照明を当ててそれでおしまいっていう考え方をしてもいいけど(それが基本中の基本だが)、
それ以上に、見た人からのフィードバックを受け取る姿勢や、自分の作品と向き合う時間を持たないと、
展示したということにならないのではといつも思っています。

もう少し過激な言い方をすれば写真展は出展者や観客との「対決の場」であるべきなのかな、とも。
とにかく自分の作品に「責任」を果せないと、発表したことにはならないのでは。
もっとも面白おかしくやるのも大事だけどね。

 

(13.11.25)
・できるだけシンプルに、観るという体験を邪魔しないもの。
・写真の内容と具体的なプリントの方向性が一貫していること。
・「神は細部に宿る」との言葉通りディティールに手を抜かないこと。
・押し付けがましくなく、なおかつ無視されがたいもの。

などということに気をつけながら、準備を進めたいと思います。
実際にはそんなことは何年かかってもなかなか難しいことなので、できるだけ近づける努力を。
そんなことを2年ぶりに開いたスティーブ・ジョブスの伝記を読みながら考えていました。
これを買ったときは「入信」間もなくだったので、適当に読み飛ばしていましたが(登場人物が覚えられない)、
林檎教にだいぶ染まってきた今読むと、新たな発見がたくさんあります。
どう頑張ってもジョブスにはなれないし、あまりなりたいとも思わないんだけど、
制作に対するヒントをたくさん与えてくれるような気がします。

 

(13.12.07)
「特定秘密保護法案可決に関して」 なんにせよ震災直後の東京で感じた重苦しさを越える経験はなかなか無いだろうし、
「にも関わらず」街を撮って歩いていたのだから、
「表現の自由の圧殺だ」などと思わずに、淡々に撮り続けるしかないのかなと思っています。

萎縮や自粛などしないで、「にも関わらず」を続ける。
「明日が来るなんて 当たり前じゃないんだ メトロに乗って 変わりゆく街に出よう」 と斎藤和義さんも歌っていたし。

 

(13.12.31)
写真の世界に関して言うと、とりあえず撮らないとお話にはならないのですが、
歴史や理論など「座学」もある程度大事だと思っていて、
自分の撮る写真なんて、 「全ては過去にされ尽くしたことの模倣・焼き直しに過ぎない」と思っている節もあります。

例えば「写真家」というのは、技術的な面や経済的な面のみで規定されるのではなく、
要はライフスタイル、生き様なんだと思っていて、
極端に言えば、カメラを持たなくても「写真家」であることもあり得るのかなと思っています。
もっともその前に大きな偉業を成し遂げる必要があるでしょうが。

 

(14.01.13)
写真に限ったことじゃないかもしれないけど、少なくとも自分でやっていることだけでいうと、
「オリジナルなど存在しない」と日々考えています。
今日撮った写真はおそらく過去に誰かがどこかでやっていたことで、要は複製でしかないと。
「自己模倣」ということもあったりして。

もちろん、底本はひとつじゃなくて、誰のものなのか、いつのものなのか、その配合は無数にあって、
もしかしたらそれを「オリジナル」と言えるのかもしれないけど。
古いものが無条件に良いわけでもなく(勿論時間の経過だけでも価値あるものだけど)、
「これは新機軸」と思っても、とっくの昔に誰かがやっていたものであったり。
とりあえず出来るだけ多くのパターンをインプットして、自分が今どこにいるのかマッピングしていく。

分母を出来るだけ大きくして、相対的に分子の割合を小さくしていく。
そうならないと、なかなか自分の写真で威張ることもできないし、
できれば自分も「分母」の一つになればいいな、とも。

というわけで、大瀧詠一師匠の「分母分子論」を自分なりに解釈。

 

(14.02.14)
あれこれとGoogleマップとストリートビューで調べ物。
どこまでも等価で平準で匿名性があってという写真の原初的な機能がある、
ストリートビューがある意味で自分が範とする写真の究極の姿かなと思うこともあったり。
北海道開拓初期の田本研造の時代にあったら非常に仕事がはかどっただろうな…。

プライバシーや光学的な問題などクリアされると、
記録という面ではいよいよ自分で撮ることの意味も考えてしまうのですが、
まあ、それでも撮りたければ撮るだけの話。
しかし「いい写真」が結構紛れてて、いつまでもピン人形を動かしてしまうのです。

 

(14.02.20)
富士フイルムの「ネオパン400プレスト」が販売終了となるというニュースが界隈に静かに衝撃を与えています。
モノクロフィルムでもっともベーシックな製品で、 例えるならばトヨタがカローラをやめるような感じでしょうか…。
自分は最終的にはコダック派だったので、
近年はあまり使っていなかったのですが、
おそらく総合的には一番優れたモノクロフィルムだと思うので実に残念です。

かつてはフィルムじゃなきゃ「写真」じゃないと思っていた時期もあったのですが
(この頃は「写真」と「画像」の概念を不必要に分けて考えていました) 、
今では自分ももう年に数本くらいしかフィルムを使っていないし、
将来的には全く使わなくなるんじゃないかなと思っています。
その辺の事は2011年11月にブログに書いた通りで、
ここに引用した森山大道さんの言葉に尽きると思うのです。

森山は2011年春、全編デジタルカメラによる作品で構成した新しい写真集『東京(仮題)』を刊行する予定だ。
これほどさように今後は、デジタルカメラに軸足を移しての活動が主となるわけだが、
旧知からは「どうせ、また銀塩に戻るだろう」と指摘されたという。
それに対して森山は、「それはない」ときっぱり答えたそうだ。

「印画紙もフィルムもだんだんなくなってきているしね。
もう無理だよ。僕は、デジタルでやったほうがいいと思っている。
当然、この先も葛藤はあると思うけど。
状況が変われば方法が変わるのは当たり前のこと。
その時グズグズ言ってたってしょうがないんだから。
去るものは追わず、来るものは拒まず、だよ。」

そうはいっても、半世紀の間、あれほど慣れ親しんだ銀塩フィルムだ。
たとえば、現在デジタルカメラで撮影していても、改めてフィルムカメラを持って出直したい、
という思いが頭を過ることくらいあるのではないか。

「ない。ホントにない。僕はそのへん、見事につれないというか。
あ、ここはフィルムで撮りたいなんてことは思いもしないんだよ(以下略)」

 

(14.02.26)
昨日今日と、ちょっとした旅行に行けるんじゃないかっていう位の支払いをして(ニコニコ現金払い。でも増税前で良かった)、
財布もすっからかんになってますが、帰りに立ち寄った本屋で手に取った1冊(いや2冊)。

日本写真史(上下巻)鳥原学著 中公新書
元は大学などの講座のテキストとのことですが、 やはり通史を知らないと話にならないなと思っていて、じっくり読んでみようと思います。
そういえば(自分達世代のはずなのに)2000年以降の状況もあまり知らないし。

前にも言ったかもしれないけど、こと写真に関しては(テクノロジー的な面を除けば)、
全ては過去に行われた要素をバラバラにして再構成(そのパターンは無数なので、それがオリジナル・新機軸といっていいのかもしれませんが)
したものだと思っているので、できるだけコマは知っておかないとなと思うわけです。
とは言え、年末に買った「写真130年史」も読了していないんだけど。

 

(14.04.08)
オリンピック少し前の札幌の街並。
Flickrなどでも時折見かけますが、個人で持っている貴重な記録の多くは残念ながら埋もれたままになっていて、
こうして公開されているということは大変意義深いことだと思います。
やはり「写真都市」は過去・現在・未来とシームレスに続いていくもので、
また歩き続けていこうと思いを新たにしています。

 

(14.04.14)
久しぶり、というか今年初めてまとまった距離の街歩きを。
麻生駅の周りを少し歩いてから、東1丁目の旧石狩街道を北18条まで、
何軒か寄って札幌駅・大通まで。
自分は高架化されてからの線路しか知らないはずなんだけど、
どうしても自分の中には壁のようになっていて (ケヴィン・リンチがいうところの都市における”Edge”)、
線路より北というのはなかなか歩かず、同じ札幌には違いないはずだけど、いつまでも新鮮な札幌です。

生まれてから現在まで、線路より北側は行動パターンに組まれることがないのですが、
もうちょっとそっち方面の写真も撮っていかないな、と。
明日も北東方面に用事があるけど、生憎の雨の予報…。

 

(14.04.19)
今日は地下鉄の元町駅から、東区のいわゆる美香保・光星・鉄東などと呼ばれている街をジグザグ。
サッポロファクトリーで一休みしてからは、一条大橋を渡って菊水へ。
豊平川沿いをしばらく歩いていたけど、偶然のタイミングで豊平の某事務所へ。
再び川沿いへ。
まだ明るいしそのまま真駒内あたりまで歩こうかとも思ったけど、
風が冷たかったので(多分風邪を引いた)幌平橋でギブアップして、中の島駅より帰宅。
というわけでまだまだ寒いけど、豊平川沿いを歩けるようになったら、ようやく春だなという感じがします。

そういえば、これは音楽の話だけど、なかなか読み終わらない「大滝詠一 Talks About Niagara」にこんな記述が。

(大滝)「実は筒美京平さんにしろ、バート・バカラックにしろ、ベートーヴェンでもモーツァルトでも、
曲の根幹っていうのはだいたい三つか四つなんだよ、分類すれば。
あとはそのヴァリエーションでしかない。
その根幹を四つ見せられるかどうかがポイントなの。
四つしか与えられていない、でも、後で他のものが出せるって思う人は大きくなれない。
今ここで、四つに自分を全部入れて提示できる人っていうのは将来大きくなれる。それが僕の考え方なの。」

自分の写真も数パターンのみ(ワンパターンといってもいい)で構成されていて、
その繰り返しでしかないんだけど、 変に考え込まずに、
その一定のリズムの組み合わせでもいいのかな、とヒントをもらったような感じがします。

つまるところ「くり返す このポリリズム」ということで。

 

(14.08.04)
今夜は次回作、数日前には次々回作のセレクト作業をしていましたが、
前にも書いたような気がするけど選ぶのが一番難しい。
テーマとか時系列とかでやってはみるんだけど、
あーでもこーでもないと何ヶ月経っても決まらないものです。
撮影はデジタルでやっているから、データはHDDやDVDやオンラインに残しておけばいいわけですが、
最終的にはプリントにしておかないと「写真」として世代を越えて残っていくことは無いと思っています。
別に残していくほどの価値があるものでもないのですが、
やっぱり定期的にポートフォリオなどにはしておきたいわけで。
しかし最終的には枠にはめて機械的に選ぶしかないですね。

完全にマイルールなんだけど、展示枚数の限度などがある他には、「46メソッド」をというのを用いて選定しています。
といってもアイドルの話ではなくて、現在、標準様式として使っているポートフォリオから、
1冊あたり表紙と裏表紙を除いた46点の写真を、23対見開きにしてしっくりくる写真を選んでいくというもの。
そうなるとクオリティに関係無く選から漏れてお蔵入りとなるものが多数出ますが、
数年後にまた見るとセレクトが変わってきて、再び思い悩むわけです。
その繰り返し。
本当に好きなものは数点に限られてきますけどね。
結局どう悩んでもいいように色々と撮っておくしかないですね。
こればかりは後からではどうにもできないから。

 

(14.08.10)
いつも同じようなルートで撮り歩いているのですが、
なんというか、どんなに明るく振る舞っていても、 哀しさや切なさみたいなものが垣間見えてくるから、
すすきのという街はどうしても好きですね。
同種の切なさみたいなものは、新宿駅東口と渋谷道玄坂方面にも感じました。
日本橋や銀座はまたそういうのとはちょっとだけ違うんですよね。
というわけでさっそく編集作業。 やっぱりモノクロの方が面白いかな。

 

(14.08.21)
まさしく「記録」だな。
対して自分の写真は多くの人が喜ぶような風景やポートレートではなく、
全く役に立たない写真だけど、森山さんの背中を遥か数百キロ先でも追いかけているとしたら、もう少しは頑張れそうな気がします。

 

(14.10.07)
とある事情で今月はあちこち撮り歩いている地方都市シリーズ。
なんだか70年代北海道における¬大道さんのようなだなぁとも思いながら、
とりあえず春までにはまとめられたらと思っています。
時間の流れが滞留していて、昔から変わらないのが地方の面白さであり、
同時に退屈な点でもあるんだけど(なので何度も通う気にならない)、
例えばこういう物件を見つけちゃうと否応なしに高まってくるわけです。
でも、札幌駅に戻ってきて人がどっと出ているのを見て、
ホッとしてしまうのはそれなりに大都市の空気に馴染んでしまった所為でしょうか。

 

(14.11,01)
唐突に森山大道さんのエピソードでも。
1978年の春、あるツテを頼って白石区東札幌にある製茶会社の社員寮に入った森山さんは、
そこから勤め人のように毎朝規則正しく撮影に出かけて、
その日のうちに帰ってくるという生活を3ヶ月ほど続けていました。
その時に撮影された作品はこの数年でご覧になったという方も多いかと思いますが、
その多くは空知管内や小樽・後志方面の町、
本人曰く、遠くても旭川くらいで、函館や釧路などはさすがに1泊したといいます。
その移動の多くは路線バスで、大通のバスセンターで行き先を決めて、
その町の何となく良さそうなところでフラッと降りられるのが良いとのことでした。

私もこの10月にある機会を得て同じような体験をすることになりました。
毎日というわけには勿論行かなかったけど、
札幌を起点にして、 旭川・室蘭・留萌・岩見沢・滝川・余市・夕張を巡りました。
あとは、岩内・砂川・深川・富良野あたりも行きたいと思っていたけど時間切れ。

普段札幌から出ることも無いので、それだけでも新鮮で、
地方独特の撮影のリズム感みたいなものを掴んだような気がします。
たまに札幌を相対化してみるのもいいかなと思います。
この10月に撮ったものの他に、この数年で札幌以外の地方都市を撮ったものがいくつかあるので、
来年春までにまとめてみたいなと思います。
これまでの作品発表は札幌ばかりで他は不遇だったから、
その辺も何とかしたいものだけど、 こればかりはタイミングとコンセプト次第かな。

 

(14.11.03)
昨日撮った写真を早速ボチボチ整理。
今夜は雪が少しだけど積もってしまったから、思えば昨日は最後の秋の日でした。
普段やらないことを考えるのはなかなか面白くて、
センチメンタルな気分を反映させたようなものにしようかとあれこれ試行錯誤。
とりあえずネガカラーっぽくしてみたんだけど、本にする時は採用されるかは分かりません。

というわけで、今回も本というかフォトブックのようなものをつくろうと思っているのですが、
御所望の方がおりましたらご案内します、というなんとなくの市場調査でした。

 

(14.12.01)
日付を越えたあたりから強くなってきた、 札幌には珍しい「12月の雨の日」そして「12月の旅人」へ。
1年の締めくくりだから当たり前ではあるんだろうけど、 色々考えてしまいますね。
季節性のものだからそこまで悲観はしていないけど、
写真を撮るモチベーション(仕事も一部含む)が大幅に低下するのは実に辛い。

 

(14.12.07)
そういえば前にも作ってはいるけど、改めて「メトロのある風景」というのをまとめてみたいと思った。
特に丸ノ内線界隈が好きなんですよね。
そんなわけで「丸の内サディスティック」を聴きながら。
「東京は愛せど、何もない」か。

 

(14.12.15)
今日もたくさん降りましたね。
冬になると気分が鬱々としてきて(季節性情動障害というそうです)、
それを紛らわせるかのように他の仕事に忙しかったり、
まともに写真を撮っていなかったり、写真展もあまり行かないわで、
写真に関してはクールダウンという感じもあるのだけど、
世界一の積雪量のある大都市に住んでいながら、
それを撮らないというのもよくないとは思っているんですよね。
でも一般的に求められているイメージって、
「雄大な大自然」や「厳しい冬の情景」あたりがテーマになりそうな、
いわゆるネイチャー写真なんですよね。

古くも新しくもない意外と難しい札幌の街並みではないから、
わざわざ本州から移住してきて札幌を撮り続ける酔狂な写真家はいないわけで。
本日はそんな数少ない「酔狂な写真家」の展示を見て、実に救われた気分にはなったんですけどね。
「冬ってこう撮ればいいんだ」とか教えられることばかり。

とはいえ、どうしてもみんなの喜ぶような写真は撮れなくて、
「そんなイメージは結局、本土による風景の消費・収奪じゃないか」とか
「そんな植民地根性があるから青い池をライトアップするとかいう訳の分からん話になるんだ」とか、
「なんでも『観光』に置き換えればいいと思うな」とか 余計なことも考えたくなってきて、更に陰鬱な気分になるんだけど、
そういうジャンルはおそらく一生相容れないだろうから、 あまり考えても仕方ないですね。

自分は写真に限らず何事もマイノリティということが、
この数日でも次々と明らかになっているので、 これからはマジョリティを無視したり、
迷惑かけても別に構わないかなとも思ったり笑。
そういいつつも、昨年末から今年初頭にしばらく撮った冬のスナップがあるので、
来年からはその辺をご覧いただこうかな、とも。

 

(15.01.14)
まもなくで阪神淡路大震災から20年。
それを受けてか先月に開設された記録写真のアーカイブス。
もし自分が住んでいる街でこんな大災害があったら、
果たしていつものように冷静に「記録」できるだろうか。

 

(15.02.27)
正確な定点観測ではないけど、 2001年と2015年の大通西4丁目を写したもの。
あまり強く意識していなかったけど、 少しずつ街を撮り始めた頃。
街並みの変化も結構なものだけど、 もしタイムマシンに乗って昔の人に、
拓銀は無くなると言っても信じてもらえないんだろうな。

 

(15.02.25)
そういえばもう過ぎてしまっていたけど、2008年2月6日から2月11日は初めての個展、
それからもう少しすると直近の個展から1年。
この数年で失われたものでまとめてみます。
自分に関わる写真その他の事柄をちょっと整理したいなと思っている今日このごろ。
久しぶりに暗室に入って写真を焼きたくなったのだけど、
今ならここまでコントラスト上げないだろうし、 結局有言不実行だろうなという気はしている。

 

(15.03.11)
(1) 昨年シェアしたものをもう一度。
仕事とかは別として、基本的に写真を撮りたくないときは撮らなければいいんだけど、
この日々だけは撮らなければ、それも出来るだけ日常に近い形で虚勢を張って、と強く思ったものです。

こう客観的に見るといつものスタイルと全く変わらないんだろうけど、
自分にとっては全く別の色に見えるのは、
 やっぱりこの日々を忘れてはならないという思いがあるからかな。
かつて暮らしていた福島県の思い出の場所が失われてしまったことを除くと、
個人として震災による直接的な被害は全く受けなかったのだけど、
特に何も出来なかった負い目みたいなものは年々深まっているような気がしています。

あれから4年経って、連呼される「絆」というワードに反比例して、
社会全体がギスギスしだしたというか、
人々の溝が修復不可能なレベルに深まっているような感じもしていて、
別の意味での破滅が来るのかなという気もしています。

決して復興そっちのけで原発再稼働やら軍事国家化ばかりに熱心な宰相に限った話ではなく。
なんか、話が逸れてしまいましたね…。

 

 

(15.04.23)
引き続きアーカイブ作成のため今夜は200枚ほどスキャン。
何もカロリーは消費しないはずだけど妙に疲れて、この時間になってかなりの空腹感。
でも、古い写真見て次々と取り込むのは、
過去に戻ってシャッターを押しているような感覚にもなって、
色々思い出されるので、なかなか止め時が見つかりません。

 

(15.04.25)
ひとまず春のスキャン祭りは終了。
色々思い出したり、再発見があったり、
でも明らかに抜けている期間もあるので、新たに発掘されたりするんだろうな。
最初は今月中にまとめようなんて思ってたけど、これでは今年中に終わるかどうか…。

見返してみると撮り方や被写体とかに、「明らかに潮目が変わったな」という瞬間があって、
他の誰かがしてくれるわけもないので、独自研究を続けようと思います。
でも日付変わって今日は暇になってしまったので、どこか撮りに行こうかな。

 

(15.05.06)
大体調子も戻ってきたし、街を歩きたい欲求も高まってきたので、
昨日は創成イースト(好きな言い方ではないけどあの辺りを指し示す言葉としては便利)の街を歩く。

個人的な「創成イースト」の定義は、
創成川より東、国道36号より北、函館本線より南、東8丁目通より西のエリア。
近年はタワーマンションも増えてきたけど、
再開発の動きは思いのほかゆっくりで、
昔ながらの街並みも残る、撮り歩いていて「ハズレの無い街」。

半日歩いて670枚撮ったから、いつもの3倍くらいの勢い。
全然規模は違うけど、「創成イースト」を無理矢理他の都市に当てはめると、
東京の深川のような、ニューヨークのブルックリンのような、
ロンドンのイーストエンドのような(深川以外は行ったことが無いけど)。

これらと同じく札幌にもちょっとしたエスニックタウンもあったりで、
そういう見方で街を歩くにも面白い。
こうして自分が撮り歩いて楽しいからという理由でも十分なのだろうけど、
なんで写真に関わっているんだろうな、なんてことを思いながら歩いた一日でもあった。

まだ撮るだけなら個人の楽しみでいいんだろうけど、それを写真展などで発表する意味とは何かとも。
かつてある友人は「自己満足」と答えて、だったら自分の部屋に貼れやとも思ったけど、
今まで自分が言ってきた「記録のため」という大義名分も実は怪しいものかもしれないし、
功名心とか社交のために写真を利用するというのが個人的にはどうしてもイヤなので(もちろんそういう機能は否定しないけど)、
案外「自己満足」が着地点かなとも思い始めている。

色々矛盾を感じつつ、今年も発表は続くんだろうけど。
そうなってくると、「写真技術・技巧の向上」なんてしない方がいいんじゃないかという、
ある種ピューリタニズム的、原理主義的なことも考えつつ、
如何に自分の名を残さずに「作品(便宜的にこの語を使うけど)」だけを残すことはできないものだろうかと、
ワケの分からない袋小路にも迷い込んでしまう。

これは写真の最大の機能の一つである「アノニマス(匿名)性」の出番かもしれないけど、
発表する以上は自分の責任でとも考えていて、また色々と難しくなってきたので、構わず撮り続けるしかないか。

 

(15.06.18)
いつまで経っても、小樽で撮ろうとすると、何だか落ち着かなくてモノになった試しがない。
住んでみないとちゃんとは撮れないんだろうな、と諦めの言い訳をしつつ、
札幌に戻って再び撮り始めると、心が明るくなって、
日が暮れるまでどこまでも撮れるような気がする。

「札幌の街は広く、うんざりするほど直線的だった。
僕はそれまで直線だけで構成された街を歩き回ることがどれだけ人を摩耗させていくか知らなかった。」

と村上春樹は書いたけれど、 僕としては、あのどこまでも見通せる街路を見ると、
途端に調子を取り戻せして、あまり心迷わずに撮ることができる。
もっともいつも通り出来はよくないかもしれないけど。

 

(15.07.18)
今回もなかなか敵を増やしてしまいました。
政治的その他の思想は偏っているという自覚は少しはあるし、
別に改善する気も異論を聞く気も全く無いのですが、
それはそれとして、こと自分の写真についてはどうも、考え方というか思想が全く見受けられません。
分析したら色々出てくるんでしょうけど、
色も味も無いというか、
少なくとも撮っている人間は何も考えずただシャッターを押しているだけのように思います。

もちろんそれでいいとも思っていなくて、
近日中に自分の写真のコンセプトをテキストその他にしなきゃいけない用事があって、あれこれ悩んでおります。
間がいいのか悪いのか先月と今月は撮影続きだったり、他に考えたいことがあったりで、締切間際に焦っている次第です。
また来週末まで忙しいしなぁ…。
でも資料探しに文化資料室のデータベースを見ていると、なんだか心にじんわりとくる写真に出会ったりして、
この辺の感情を軸にすれば少しこれからの道が見えてくるかなという感じはしています。

 

(15.08.05)
果たしてその成果物を公開できるのかは全く分からないけど、
とりあえず必要があったので、今日は公文書館で古い写真をひたすら複写。
デジタル化されたデータからプリントアウトされたものも少なくはないのだけど、
今までWeb上のデータベースや、出版物などでしか見たことのなかった写真の生プリントや明治時代の写真帖などを手にすると、
荒んだ心も癒やされるというか、気分が高揚してきます。
色々な書物にも出てきてイメージしやすいかと思うのですが、
特に田本研造が明治4年秋に撮った札幌市街地(の予定地)の生プリント(もちろん原版ではないだろうけど鶏卵紙!)は、
お気に入りのアイドルの生写真を引き当てたような気分で、若干不気味な笑みを浮かべていたかもしれません。
アイドル生写真というと変な例えかもしれないけど、田本研造は自分にとっては崇拝すべき、いわばアイドルみたいな存在。

それから明治から大正時代の写真帖を見ていくと、
札幌市の代表的な神社や公共施設、工場や商店などが、 図鑑のごとく淡々と並べられていて、
「やっぱり札幌こそ『写真都市』なんだなぁ」と自分の針路にも重ねつつ、黙々と複写をしていました。
予定していたよりも早く終わったので、一休みしてから街を撮り歩く。
2,3時間みっちり歩いたのは5月以来だろうか。
折しも猛暑日ではあったけど、久しぶりということもあって、すすきのを中心にあれこれ撮っていました。
何はなくとも、とりあえずすすきのを歩けば、色々面白いものがセンサーに引っかかる。
いつもと違うカメラとレンズだったので尚更。
他の街に比べて何倍もカット数は多くなるのですが、写真展となるとその殆どがセレクトから漏れてしまう。
すすきのらしい理由があるのかもしれないけど、その辺はまだよく分かりません。

釣果はなかなかだったけど、ともあれこれからゆっくり整理をして、
今年の札幌の街で撮った写真の決算は11月頃にでも。

 

(15.08.06)
あまり遠くに出歩く方ではないですが、
日本の中で撮り歩きたいと思っている街がいくつかあって (幸い那覇市は2年前に実現したけど)、
広島市や長崎市もそのリストに入っています。
特に広島は高校の修学旅行(2003年)で行っただけで、
こんなどうしようもない写真しかないので (あまりにしょうもないのでモノクロで誤魔化してみました)、
路面電車に乗りながらみっちり撮ってみたいと思っています。

今年はどうだか分からないし、機会があれば早いほうがいいんだろうけど、
例えば原爆投下後80年の2025年だと自分はちょうど40歳か。
その頃に再びあの過ちを繰り返す日本であってはほしくないけど、
昨今の状況からするとどうも信用ならないですね。

まあ、そういう非国民な発言はさておき、
広島くらいの規模の街がどうも自分には合っているみたいで、
写真にすればそれなりのものになるんじゃないかという期待もあります。

 

(15.08.27)
さっそく今回の写真展について少し考えてみました。
自分の写真は割と何でもいいけど、
「グループ展」をやる意味ってどの辺にあるのかなというのが今回のテーマ。

あんまり強力なテーマやレギュレーションで縛るのは適切ではないかもしれませんが、
単なる割り勘互助会というか、またあまり野放図なのも良くないなぁとも思っていて、なかなか難しいところです。

かくいう自分もいくつかグループ展のようなものを企画したことがあるけど、
これがなかなか難しくて、満足いく結果を出せたことがありません。
写真のことではなくて、実際的な損得勘定の話になってくると、
たちまち心を閉ざしてしまいますので非常に面倒なものです(笑)。

つまりは政治のできる人間でないと務まりませんね。
ともあれ、いつも自分は大抵は好きなものを好きなだけ(受けは良くないでしょうが)出せているので恵まれた環境にあるなとは思っています。

 

(15.09.03)
中平卓馬さんの訃報。
大学入った頃に「来るべき言葉のために」を見て大いに衝撃を受けた。
森山大道さんと共に自分にとって写真の入口にいた人だった。
手元にある図録には収められていなかったけど、辻堂の団地を撮った写真が特に好きだったな。
あの暴力的なまでの激しいモノクロ写真には憧れていたけど、テキストは難しすぎてさっぱり。
でも、詩人でもあったので言葉の並べ方はさすがと思った。

最近になって「植物図鑑」の意味が少し分かってきたところだったけど、いやはや上手くまとまらないな。
これからも向こう側で「Provoke」してくれたらなと思います。

 

(15.10.13)
さて、次の写真展の候補作をざっと200枚弱セレクト。
いつだってセレクトは辛い作業なんだけど、今回もなかなか絞り切れません。
どうせいつものと同じようなのだろと言われたら、 まったくその通りで、
こうしてここでボツを掲載することである程度満足している部分はあります。

そういえば先日、テラウチマサト氏に作品の添削を受けた時に、
「フォトジェニックな写真とは、暗号が隠されている」という意味のコメントを頂いたので、
それも頭に入れつつセレクトもしてみたけど、自分の写真は見事に表面的で薄っぺらいというのが、
逆に明らかになって開き直ろうかとさえ思っています。

そうはいいつつも、写真は究極に具象的なものでも抽象的なものと考えるから、
無意識的にも何かしらのメタファー(暗喩)は含まれるかもしれないし、
それを意識しつつ、写真を撮ってみたり、人の作品を読み取ろうとすると非常に興味深いものではあるのだけどね。

 

(16.11.11)
「町ができる 美しい町が」
本日11月11日から札幌市電の都心線で試運転が開始。
ずっと工事は見てきたけど、実際に電車が走るのを見ると、
なんだか夢のような、幻を見ているような不思議な感じがしています。

それだけ興奮していて、肝心の写真は酷いものなのですが、
これから1ヶ月ほど10:00から16:00まで試運転が続くということなので、
じっくりポイントを決めて撮ってみたいと思います。
それに開業すれば、この先ずっと日常の風景になるわけだし。

しかし札幌に居て新線開業に立ち会えるとは思っていなかったけど
(地下鉄は事実上整備が完了したし、新幹線は本当にやってくるのかも分からないし)、
この事業は単なる新線開業ではなくて、 札幌を、中心市街地の姿を大きく変えるかもしれない、
新しい形の「街」が誕生した瞬間であったと思います。

これが上手くいけば札幌はもちろん、
全国の街づくりにも大きな影響を与える、 わずか500m弱だけど大きな一歩になるだろうと思います。

 

(15.11.29)
昨日は旭町から川を越えて大通まで撮り歩き。
途中、強い霰に降られる。
冬の最初と最後しか撮る気が起こらないので、 雪の季節の写真はいつも極端に少ない。
札幌という都市をほぼ専属で撮っていてそれでいいのかという疑問はあるけど、
鬱々とした感じを表現するのもしんどいし、
いつものように何とかやり過ごそうと思います。

 

(15.12.20)
思えば、新線の開業の場に立ち会うということは(しかも出来上がる過程を見続けることができた)初めてのことで、
またあまり考えたくはないけど、この先も当分はこういうことは無いだろうから、
最初で最後かもしれないと、この日の感慨はひとしおで、 今まで書籍や、自分の中の妄想にしかなかった光景がそこに広がっていました。

全廃の危機を逃れた札幌市電ですが、 近年でもその存廃の議論は行われていました。
そして、駅前通に40数年ぶりに路面電車を通すという事業。
当時の市長の決断によって紆余曲折ありながらも事業が進められ、
その流れを受け継いだ新しい市長がこの日テープを切りました。
そして、この路線は従来の2つのターミナルをつなぐということだけではなくて、
これからの人口減少やそれに対応したコンパクトシティにするための様々な工夫がされています。
たった400mほどの距離ではあるけど、 そこには札幌の、都心の、価値を更に高めるための非常に重要な新しい道となっているし、
これからの全国の都市のありようにも大きな影響を与えるものになると思っています。

とまぁ、語り始めるときりがないのですが、 夢に見た光景が現実となり、
人が街が動き始める様子を見ると、どうしてもこみ上げてくるものがありました。

 

(15.12.26)
そういえばエネループでも動くのかなと思って、なんと8年ぶりくらいにかつての相棒EOS-1Nの電源を入れる。
フィルムを入れてみないと何とも言えないけど、各種動作は往時と変わらず快調のよう。
基本的な操作方法は今のEOSと変わらないから、違和感は無いけど、
ついシャッターを押すとダイヤルしかない裏蓋をいちいち見る癖が加わってしまった。

 

(15.12.31)
最近はどうも重いカメラを持ち歩くのもズームレンズを使うのも億劫という有様で、
何とか意識を変えないとなと思いつつ、 どうせなら年内の経費にしてしまおうということで、
半ば衝動的にAPS-C専用準広角単焦点レンズ「EF-S 24mm f/2.8 STM」を購入。
以前から使っているEF 28mm F2.8でもいいといえばいいのだけど、
焦点距離4mmの差は大きく(APS-C換算すると6.4mmの差)、
どうせならスナップに適した現代風のカリッとした写りをしてくれるレンズがあったらいいなと思った次第です。
それに実勢価格1.6万円程度と手を出しやすいのも魅力(新・撒き餌レンズといっていいでしょう)。

購入後さっそく街中を試し撮り。
といってもいつものような写真なので、 あまりテストとしては適してないのだけど、
全てが軽快で撮っていて面白かったです。
単焦点だから手袋のままズームリングに触れないで撮れるし。
キヤノンらしくフォーカスの速さもなかなか。
また最短焦点距離が16cmなので、 寄りで撮っても楽しめそうです。
ただ歪曲収差もなかなかのものなので、 場合によっては常に補正することになるかもしれません。
あんまりはしゃいでスナップしていると構図や水平が適当になってしまう恐れがあるので、 しばらく使い込んでみようと思います。

 

(16.02.05)
インフルエンザも完治した(と思われる)ところで、 28mmの古いレンズで用事がてら久しぶりに街撮り。
もっともインフルエンザの発症を自覚した日にも這うように菊水を少し撮っていたけど。
いつもは冬といえば鬱々とするもので、 殆ど何も撮らないで過ごしてしまうけど、
今年はちょっと調子がいいかな。
珍しく少しだけ遠出しようかなとも思ってみたりで。
もっとも一番鬱々とするのは3月中旬くらいだけど、 それどころじゃないという状態にしておきたいものです(≒仕事を下さい)。

 

(16.02.28)
三島由紀夫の言葉。
「大部分の写真は、不完全な主観の再現の手がかりに過ぎない」
なるほど、そうかも知れない。
自分は出来得る限り客観的でありたいとも思うのだけど、
それ自体が非常に主観的であるとも言えるかもしれないし。
まあ、客観か主観かということではなくて「不完全な主観」というのがここでの問題だけど。

あと、結論的にはちょっと違うんだけど「愛国心」と、 太宰コンプレックス全開の「小説家の休暇」という文章が好き。
これに限らずコンプレックスの塊のような人で、 どのみち長生きできなかった気もしないでもないけど、
年老いた三島の言葉も聞いてみたかったなと思います。

 

(16.04.03)
結局会期末になってようやく宮の森へ。
作品としては何度か見たことのあるものが多いけど、
撮影風景を撮った記録映像が面白くてしばらく入り浸ってしまった。

10年近く前に某所の喫煙所で森山さんに「もし札幌を撮るなら何処をどう撮るか」と尋ねたことがあったけどダイレクトな形で答えてもらった気分。
何故かは分からないけど、近年のカラーの作品に強く惹かれるな。

次回の展示は東松照明の「太陽の鉛筆」 現代日本写真史に残るスタンダード中のスタンダード。

 

(16.05.12)
連休中から少しずつやっていた2000年頃から先月まで撮影したカラーネガとポジの整理がようやく完了。
学生の頃は同時プリントはもちろんインデックスさえもケチっていたので(昔はインデックス別料金だったんだよな)、
詳しく分からない、もしくは忘れているものも多い。

一応10数年前のフィルムスキャナは持っていて、 その当時にスキャンしたデータもあるにはあるのだけど、
今見ると低品質でやり直したくなるし(露出が取れてないのはどうにもならないが、特にポジ)、
だからといってそのスキャナを今のIntel Macで動かすのもなかなか骨が折れたので、 新しいフィルムスキャナが欲しいところ。

一応写真を撮り始めた頃から、メインはあくまでもモノクロフィルムというスタンスだったので、
カラーフィルムは気分を変えたい時に撮っていたり、 遊びが入っていたりするので、 今見るとなかなか面白いものも多い気がする。
ゆくゆくはモノクロネガも含めスキャンしてリマスタするという、 「ナイアガラ計画」も実行したいところ。

 

(16.05.18)
amazonで業務用廉価フィルムを追加購入。
この春からどういうわけか学生時代以来のペースでフィルムを撮りたくなっている。
現在はデジタルカメラと併用しているので、その辺の環境や撮り方は全く違うのだろうけど。
ふと取りだしたフィルムカメラを使ってみたくなったためか、ここしばらくのマンネリを打破したいためか色々あるだろうけど、
一番大きいのは写真を撮る時に「選ぶ」という行為をとりたかったというのがあるかもしれない。

敢えて限定した条件を設定して、自分の感覚で考えて選んだものが果たしていいものなのか、
そもそもちゃんと撮れているのかという不安もあるのだけど、自分と写真の距離を今一度見直すきっかけになればと思う。

 

(16.05.30)
屋外での撮影ラッシュも一段落。
明日からはまた編集ラッシュを挟みつつ、次の週末も撮影ラッシュになりそうだけど。
そんな中、一昨日にフィルムのスキャンデータのダウンロードリンクがメールで届けられていた。
本格的なスキャンとプリントは自分でやりたいなと思っていたので、 フィルム現像とデータ化だけをやってくれる所はないかなと、
ネットで探してみたとこと、 ちょうど要求に合致したので「トイラボ」さんでお願いしてみました。

撮影済みフィルムを郵送すると、現像して先ずはそのスキャンデータがメールなどで送られてくるという仕組み。
スキャンされたデータのサイズは長辺774pxと小さいものだけど、 フィルム現像料金のみで料金がかからずに付帯するので、
とりあえず撮影結果をチェックするというだけなら最適です。
市内の普通のお店に頼むと結構費用がかかる上に、 明らかに面倒そうなお顔をされる場合もあったので、
そういう意味でもネットで同様のサービスを探してみるのもいいかもしれません。
また業者さんが熊本市内ということで、 何かのお役に立てればなとも思ったり。
震災の影響で作業が遅れているとのことでしたが、 送ってから概ね10日くらいで現像済みフィルムが帰ってきそうです。
寝不足気味なのにだいぶ飲んでしまったので、 うまく文章がまとまらないけど、
フィルムの現像が上がってくる期待と不安というのを久しぶりに味わったような気がします。
とりあえずカメラとレンズには問題無さそうなので、 もうしばらくフィルムでの撮影を続けてみようと思います。
どこかで発表できる機会があればいいだけど。

 

(16.07.31)
すぐに中央バスターミナルが見えてきた。 あいかわらず、地味な雰囲気で立っている。
見た感じは、人口10万人ほどの田舎町のデパートだ。 いつ頃建ったかは知らない。
俺が高校の頃には、もう鄙びていた。
だが、鄙びてから強い、という人や物があって、中央バスターミナルは、鄙びてからその持ち味を発揮しているようだ。 (中略)

札幌中心部の中でも、創成川右岸はどことなく静かな一画だが、バスターミナルに一歩入ると、独特の安らぎの世界に踏み込むことになる。
空気全体が、なんだか優しく穏やかに澱んでいて、進歩だの前進だのという、不可欠だが落ち着かないあれこれとは無縁の世界。
いろいろと細かな模様替えは行われたのだろうが、四十年前とほとんど変わらず、ただただ長い時間をかけて、ゆっくりと衰退している、
その落魄(らくはく)の安らぎのようなものが独特の落ち着きっぷりで、「心配しなくてもいいんだよ」と、見守ってくれているような気分になった。

東直己著「旧友は春に帰る」より
個人的に気に入っていたり、 地元の人でないと顧みられることの無いものや場所を、
こうして、その街で生まれ育った者でしか創れない「作品」にしたいと、 自分も追い求めてはいるのだけど、なかなか道は険しい。