写真都市

Yasushi Ito Portfolio Page

2009 東京撮影記

各タイトルはブログ「写真都市」に掲載したものに撮影日を付した。
また本文については一部表現を整えている。

 

09.02.23 Tokyo(09.02.21撮影)

今朝も雪の積もる黒磯の町。普段よりも早く部屋を出た。
10分ほど歩くと、黒磯駅について、7時53分発の「おはようとちぎ号」新宿行きへ乗る。車両は183系電車。プラットホームとも相乗して国鉄ムード満載である。普段は通勤用特急としてそれなりに混むようだが、土曜はさすがに閑散としている。黒磯で乗ったのは多分僕一人だけだと思う。新幹線の止まる那須塩原は通過して、東北本線の主要な駅いくつかに止まる。

新宿までは2時間少し、最後まで結局座席は埋まらなかった。僕は終点のひとつ前の池袋で降りて、早速駅周辺をスナップ。小学生の時以来になるが、何か独特の臭いのする繁華街である。雑多さでは新宿よりも上回っているような気もする。風俗店街やサンシャイン60を抜けて、住宅地へ。ターミナル駅から15分くらいも歩くと、突然狭隘な道路と古くからの狭小住宅が現れるのに驚く。

もう少し歩いて、東池袋4丁目から都電荒川線に乗車。都電に乗るのは初めてで、普段はどうなのかわからないが結構混雑している。王子や大塚といったJR線との乗換駅では大量の乗客が入れ替わる。専用軌道ギリギリまで迫った古い家や商店からは電車に向かって、各政党のポスターが貼り出されている。とりわけ公明党のものが多いのは、やっぱり自営業者が多いからなのかな。そのあとちょっと歩いた尾久の街も公明党のポスターばかり。

電車を荒川車庫前で降りる。車庫前には「都電おもいで広場」という保存電車を公開するスペースがあって、PCCカー5500系と7500系が2両、内部はギャラリーなどに改装されてはいるものの、大変綺麗な状態で保存されていて、子供連れの家族を中心に賑わいを見せている。どうやら土日だけの公開みたい。その後、近くの公営遊園地である「あらかわ遊園」まで歩いたが、そこにも都電の代表的な車両である6000系が保存・公開されていた。

あらかわ遊園は小さく素朴な遊園地だが、小さなこどもも安心して遊ばせられるようで、やはり家族連れで賑わっている。釣堀には近所の人々であろうか、多くの人が釣り糸を垂らしていて、何とものどかな風景だ。荒川の土手に出てみる。といってもコンクリートで固められた埠頭のようなところだが、やっぱり河川敷は好きだ。豊平川に比べるととんでもない汚染度だが……。鉄琴を叩くとメロディを奏でる「花」の歌碑(?) があったが故障中のようだった。

その後も周囲を歩きながらスナップしていたが、ここで友人Hから電話が。池袋に向かうという。今日はHに久々に会うために上京してきたから、すぐさま都電で池袋へ戻る。すっかり下町の風景を気に入ってしまい、時間が許せば終点の三ノ輪橋まで行きたかったところだが(三ノ輪といえばアラーキー)、これは数回通わなきゃいけないかもしれない。分かっていたことだけど、主要な盛り場より下町の方が面白いに決まっている。

Hと池袋で合流して昼食にした後は、新宿へ向かう。途中話していたことだけど、池袋は他と比べると何だか田舎臭い印象を受けるのだ。
ここへ向かう路線の性格によるものなのか分からないが、新宿とは確実に異なるものがある。僕はどっちかというと新宿の方が居心地がいいかもしれない。新宿の新名所、コクーンタワーを見た後は、定番の東京都庁へ。ポストモダンはあんまり好みじゃないけど、都庁はやはり別格の名建築かもしれない。

大江戸線で六本木まで。初めて六本木ヒルズに行く。ヒルズの中核、森タワーの展望台に登って、眺望鑑賞と記念写真撮影サービスの「業界研究」。森美術館では「インド美術の新時代」という展覧会が行われていたが、予想通りのカオスな空間。その後もヒルズの周りを見て周ったが、実に洒落て洗練された街である。うーん、僕にはなんだか場違いなようだ……。しかし六本木ヒルズのコンセプトは素晴らしいと思う。

新宿へ戻って夕食。土曜の夜はどれくらい盛り上がっているのかよくわからなかったが、終電前にはすさまじい光景が広がるとのこと。新宿から埼京線に乗って赤羽まで。赤羽から宇都宮線に乗って、大宮で快速に乗り換えてからは、延々3時間ほどの最後の旅。さすがにグリーン席にした。

やはり東京は刺激に満ちている。おかしな話だが、たまには田舎から出てきて、東京のカオスを体感しないと具合が悪くなるのだ。
そうはいっても、結局いつもカメラでは全然つかみ取れていない。東京に通うようになって1年近くになるけど、まだろくな写真が撮れていないように思う。

それは、東京に住んでいないからに他ならないのだが、撮るエリアも考えなければいけないかな。今までは主要な盛り場が中心だったけど、今回下町の方が絶対的に身体に合うことが分かったから、今後はそっちを中心に撮り続けたいものである。東武線から見た浅草周辺の風景も大変魅力的であったし。モノレール沿線の風景もいつも気になっているのに、なかなか訪れられずにいる。

いつまで関東にいるのか自分でもよく分からないが、もう少し打ち込んで撮影したい街となりそう。とりあえず今度はちゃんと一眼レフを持っていこう。その日もRICOH GX200の完全プログラムモードにしたのだが、非常に恐ろしい測光をしてくれる。

【2018年のひとこと】
唐突に2009年の冬からスタートしているけど、僕が東京に行くようになったのは大学を卒業してすぐ栃木県那須塩原市に赴任した2008年3月末から。新幹線でも1時間半、その他の交通機関でも2〜4時間はかかるので決して近いとは言えないが、こっちにいる間にできるだけ沢山写真を撮りに行きたいと思っていた。しかし、ここから1年もしないうちに東京に住むことになるとは思いもしなかった。

 

 

 

09.04.28 東京~光と影~(09.04.28撮影)

久しぶりにちょっと遠出してみた。結局今月はあまりパッとした撮影が出来ず、未だに体調も悪いままだが、ちょうど用事が作れたので、東京に出てみる事にした。

一つは今月24日から開かれている「Light & Shadow~光と影~」森山大道写真展を見るために銀座のBLD Galleryまで。結局いつも森山さんの写真展見るために上京しているような気もするが、70年代中葉からの氏の長いスランプの暗いトンネルを抜けた先にあった、あの強烈で感動的な「光と影」の印象が非常に強かったので、是非一度見たい写真達だったのである。同時に新たに発刊された写真集「光と影」を買い求めるためと、1月にやはり銀座のリコーギャラリーで行われた写真展は見にいけなかったので。

もう一つは、キヤノンへカメラのメンテナンスと修理の相談に行くため。どちらも銀座の程近いところにあるので、今回の活動範囲は銀座ということになる。あまり自分に似合うような街でもないと思うが、結局東京で一番訪れている場所である。まだあまり気乗りしないのと、体調や時間的な制約のために、今回は銀座周辺で見たかったものを、ちょっと巡るに留める。

さて、今回の東京行きの交通手段は高速バスを利用することに。黒磯の自宅から車で20分強、西那須野・塩原インターチェンジの近くにある千本松牧場駐車場から、新宿駅南口まで3時間ほど。往復で4300円。5日前までに予約すればもっと安くなるらしい。日帰りの場合、バスの時刻表の都合上どうしても、東京での滞在時間が6,7時間ほどしか取れないという問題があるが、時間と費用を考えたら今まで以上に手軽に東京に行く事ができるようになりそうだ。高速バスならではの楽しみもある。

(つづく)

【2018年のひとこと】
この年は思えば体調があまり良くなかった。厄年というのはあまり信じていないけど、仕事や生活の変化が大きかったのでうまく対応していなかったのかもしれない。高速バスはゆっくり寝られるので悪くなかったが、滞在時間の短さがネックで結局一度しか利用しなかった。

 

 

 

09.04.29 東京~地下鉄に乗って~(09.04.28撮影)

西那須野インターチェンジから東北道を南下して2時間ほど。途中埼玉の羽生パーキングエリアで小休憩の後、首都高速を経由して北区王子ランプで一般道に出る。首都高の高架から眺める東京の街(実際は防音壁が多いのだけど…)、そして一般道に下りてから眺める王子・池袋、そして新宿の街。バスの高い目線から撮影するのも面白い。午後12時前新宿駅南口に到着。ターミナルはJR線のすぐ横にあって大規模な工事中だが、南口は初めて訪れた高校3年の頃からずっと工事中なのだが、新宿はそういうところなのかもしれない。

それにしても暖かい。24℃くらいあるそうだからむしろ暑いくらいである。そのために寒い那須で我慢して薄着にしたのに、それでも暑くて参ってしまう。新宿駅構内などをしばらく撮り歩いて、丸の内線のホームまで。丸の内線に乗るのは初めてだ。

さて、僕は鉄道が好きだが、その中でもとりわけ地下鉄や路面電車などの、都市内交通が昔から好きである。路面電車はともかくとして、地下鉄は一般的な鉄道ファンからすれば、あまり人気の無いジャンルであるように感じる。確かに、「車窓」といっても、真っ暗なコンクリートの壁ばかりだし、車両や駅舎だってそんなに面白みのあるものではないかもしれない。でも、最前や最後尾を陣取った時に眺める真っ暗なトンネルのレールや時折すれ違う列車、それにトンネル内に響き渡るブレーキの悲鳴、そして同乗する人々の様子など、地下鉄ならではの楽しみもたくさんある。複雑な路線網や今は何通りの地下を走っているのだろう、と思いを巡らせるのも楽しいし、結局、もっとも都市を体感できるというのが、数ある交通機関の中で地下鉄を好む要因なのかもしれない。まだ、そんなに東京メトロの路線を乗ったわけではないが、自分としてのベストはやっぱり元祖・銀座線かな。パリのメトロやロンドンのチューブなど、他に乗ってみたい地下鉄が沢山ある。

さて、丸の内線といえば「地下鉄に乗って」という吉田拓郎の楽曲が思い浮かぶが、「♪今赤坂見附を過ぎたばかり(丸の内線の~)新宿まではまだまだなんだね」という歌詞を聴くにつけ「なんだすぐじゃないか」とも思ってしまうが、そんな事を考えているうちに銀座に到着した。いつものように地下通路を通り抜け、松屋の前の出口に到達する。日差しがとても強い。仲通をしばらく彷徨って、キヤノンのサービスセンターとショールームにたどり着く。もう午後1時。カメラを預けてからギャラリーに向かった。歩いて10分くらい。

(つづく)

【2018年のひとこと】

色々なところで書き散らしているのだけど、僕は地下鉄というのが好きだ。そして地下鉄が走る街というのが好きだ。今思うとここに書いているように「人気の無いジャンル」というのはさすがに無いと思うが、一般の鉄道ファンとはちょっと客層が違うかなという印象は今もある。当時再開発中だった新宿駅南口は2015年頃に工事が完了。でもこれからも絶え間なく新宿は変化していくのだろう。

 

 

 

09.05.01 東京~ちょっと銀ブラ~(09.04.28撮影)

キヤノンのショールームから歩いて10分ほど、ちょっと迷いつつも「Light & Shadow ~光と影~」が行われているBLD galleryへ。全点数は3,40点くらいだっただろうか。以前に札幌宮の森美術館で見た作品もあった。去年写真美術館で見たようなボリュームは当然無いが、この辺の時代の作品がやはり一番好きかもしれない。倍紙の2倍(全紙4枚分)のオリジナルプリントが100万円。絵画に比べると写真は随分と安いような感じがする。ビンテージプリントやモダンプリントなどによっても変わっては来るだろうが。ショップで写真集や各種グッズを眺めて、写真集「光と影」を購入(サイン入り)。それよりも、「北海道」の写真集の方がずっと欲しいのだが、何せあの価格(20000円)と大きさ(数キロはあろうかと)に今回も躊躇してしまう。5000円くらいだったら買うのに。

もう少しだけ銀座をブラブラして昼食にする。キヤノンのサービスセンターに戻って、次はまたショールームで色々眺める。新発売となった顔料プリンタPro-9500 Mark2を試せるということで、再び周辺を撮り歩いてテストプリントすることに。ここから歩いて5分くらいのところにある、銀座では古参の方に入ると思われる「奥野ビル」へ。ここは建築好きの人にはかなり有名なビルらしい。タイルを貼り付けたモダンな外観と手動扉のエレベータが特徴。昭和初期に「銀座アパートメント」として建てられ、今のヒルズ族のようなハイソな人々が住んでいたというが、現在は画廊やギャラリーが多く入居するビルに。ちょっとビル内を歩き回っただけだったけど、面白そうなテナントばっかり。こういうのは東京ならではだと思う。階段で最上階まで上がって、最後はカゴ内に表示されている注意書きに従ってエレベータに乗車。やけに重い外扉と格子戸を閉めて1階まで。なんだかエレベータというよりも「昇降機」という感じ。

さて、ショールームに戻って早速Pro-9500 Mark2をプリントさせてもらうことに。今回はモノクロに変換してプリントしてみたが、非常に美しい仕上がり。この頃、作品作りに外注しようかプリントしようか色々考えていたところだったが、このプリンタが欲しくなってきた。もちろん値段がぐっと下がった旧型の方。そんなこんなでもう4時近くになってしまった。しかも雲が出てきた。大して写真を撮る気も無いのだが、ここから2キロほど歩くところにあるもうひとつの「聖地」に行ってみる事に。

(つづく)

【2018年のひとこと】
稼働率は下がっているけどこの頃から使っている顔料プリンタはまだ現役。奥野ビルの手動式エレベータは今頃どうなっているのだろう。森山大道「北海道」についてはこの後様々なエディションが出てだいぶお求めやすい価格で手に入るようになりました。銀座もこの後関わり深い街になるとは思わなかった。

 

 

 

09.05.09 東京~ジャンクション~(09.04.28撮影)

銀座から北西に歩く。依然としてオフィスビルも多いが、八丁堀・茅場町のあたりにはその周辺の大企業を反映して、印刷所などの町工場が多い。こういう東京は初めて見る。ほどなくして首都高速の箱崎ジャンクションに到達。ここはジャンクション好きな人間(ジャンキー)には、聖地であるらしい。確かに、3方向からの交通を、3層構造で複雑にさばくこの機構は、今まで見たことの無いもので圧倒されるものである。また有名な渋滞ポイントでもある。あまり上手く写真に撮れなかったので、しばらく眺めているだけだった。

ここから隅田川を渡って、少し上流の清洲橋まで川沿いを歩く。とても綺麗な川とはいえないが、やはり水際というものは落ち着くものだ。気分もちょっと上がってきて、シャッター数が増えてきた。このまま川を上って浅草辺りまで行きたい気もするが、天気が悪いのと、もう帰りの時間が近づいているので、再び箱崎ジャンクションの方まで戻り水天宮にお参りしてから、半蔵門線・丸の内線で新宿へ。新宿駅西口をちょっと撮り歩いてから、再びバスターミナルに戻って帰路につく。また首都高・東北道を経由して3時間ほどで西那須野に到着。最終便で帰りは9時くらいになるが、もっと遅い便があってらいいのになぁとも思う。そういう面では列車の方がアドバンテージあるかも。短い東京滞在ではあったが、かなりリフレッシュとなった。

(おわり)

【2018年のひとこと】
箱崎ジャンクション付近もこの後時折訪れることに。そして隅田川もよく歩くことになるが、やはり大きな川は自分にとって街を見るときの基準になるというか、単純に好きな空間である。

 

 

 

09.08.22 東京ダイジェスト1/3(09.08.20撮影)

また、東京に行ってきた。今月2度目の「ツーデーパス」を買う。北は磐越西線会津若松や、会津鉄道の会津田島、北越急行まつだい、東は総武本線銚子、西は中央本線下諏訪、伊東線伊東など、かなりの範囲の普通列車2日間5,000円で乗り放題である。また東京湾フェリーにも乗れるとあって、色々行ってみたい気もするが時間が足りない。黒磯から上野を往復するだけでも元が取れる。前回の時はトラブルで、急遽上野から引き返してきた。

7:11に黒磯を出て、宇都宮で乗換え、終点上野には9:55に到着。今回は贅沢しないでグリーン車を使わず来たので、さっそくちょっと疲れてしまった。最初に向かったのは、駅のすぐ傍にある上野公園は国立西洋美術館。企画展である「ル・コルビュジェと国立西洋美術館」を鑑賞する。ここ国立西洋美術館はル・コルビュジェが日本で設計した唯一の建物である。まずは正面をしばらく撮影。向かいにある東京会館(前川國男設計)と相まって本当に美しい建築である。屋外彫刻も素晴らしいが、「西洋美術館を世界遺産に!」の旗が邪魔である。もう本末転倒というか何と言うか……。

平日だが、かなりの人手で(ほとんど動物園利用者だが)僕の他にも撮影している人がいる。切符を買って展示を見ていると、若い人を中心に熱心に展示を眺めたり、その美しい内観をカメラに収める人が結構あった。僕はといえば、撮影禁止箇所が多かったのと、屋内は暗かったので、あまり撮影は頑張らなかった全くのダメカメラマンである。予定よりだいぶ時間をオーバーして上野公園を出る。この日は30℃を越えた暑い日で、公園は蝉の声が喧しい。

山手線を秋葉原で総武線直通に乗換え、御茶ノ水で降りる。この前通りがかって気になっていた「聖橋」を撮影。聖橋は昭和2年に架けられたコンクリートのアーチ橋である。白亜の筐体に曲線が非常に美しく、ドイツのアウトバーンに架けられた橋を彷彿とさせる。橋の下から丸の内線、中央線、総武線の共演を収めるのに成功。この後、新宿方面に出て恵比寿に向かうはずだったが、時間の問題があって、東京に戻って東海道線に乗り換えた。

(つづく)

【2018年のひとこと】
2009年8月には2度東京へ。この記事の前に一泊二日で色々出かけるつもりで、まずは杉並区の阿佐ヶ谷住宅などに立ち寄っていたのだが、仕事上のトラブルがあって急遽那須に戻ることに。大した事ではなかったが、やっぱり自分には会社員は向いていないなと思った出来事だった。それにしても読み返すと当時は休日が限られていたから仕方ないけど、ずいぶんとあれこれ詰め込んでいる。これも今ではとても再現できない。

 

 

 

09.08.22 東京ダイジェスト2/3(09.08.20撮影)

東海道線に乗ってしばらく寝ていると川崎に到着。ここで乗り換えて鶴見駅で下車。今回の大きな目的の一つである鶴見線に乗車する。鶴見線は鶴見から京浜工業地帯の中を走る短い路線で、戦前からの雰囲気を色濃く残す「国道駅」や、海の間近にある「海芝浦駅」など、趣のあるスポットがあって訪れる人も多い。特に海芝浦駅行きの列車は日中は本数が極端に少ないので、どうしても時間と行動に制約が出る。鶴見線ホームには結構な人がいる。他のホームとは違って、こちらは昭和の雰囲気が色濃い。これでもすごいと思っていたが、すぐ隣駅の「国道駅」はもっとすごい。

その名の通り京浜国道沿いにある高架下の駅であるが、まさに時間が止まったような場所で、映画やドラマの撮影にも使われたらしい。真っ暗な通路に居酒屋や釣り船屋(?)などがあるが営業しているのか定かでない。駅の壁面には機銃掃射の跡がある。僕の他に散策者が多数。次にやってくる海芝浦行きの列車に乗り込むが、ダイヤの関係があるので当然のことながらみんな行動は一緒。15分ほど工業地帯の中を走り終点「海芝浦」に到着。隣接する(というか駅が敷地内)工場の従業員を含めて、結構な利用があったのでちょっと驚いた。駅の外は駅名の通り東芝の工場なので、入講証の無い人間は立ち入る事はできない。間近に迫る工場の他にはホームの真下の京浜運河や、そこを行きかう船、高速道路橋などを眺める。本当にそれだけの風景。2つの政令指定都市の間にある不思議な場所である。15分ほど滞在してすぐに折り返しの列車に乗る。途中駅も魅力的なのだけど、時刻をちゃんと調べないとうまく周る事ができないだろう。 鶴見駅に戻って、再び東海道線で東京駅へ。今度は千葉方面に向かう。

(つづく)

【2018年のひとこと】
この頃から変わったところと全く変わっていないところがあるという鶴見線沿線。東京に居た頃はあまり行くことのなかった川崎・横浜方面だけど、国道駅や海芝浦駅、他にも再訪したい場所がたくさんある。

 

 

 

09.08.26 東京ダイジェスト3/3(09.08.20撮影)

次の目的地は江戸川区葛西。今回使用している「ツーデーパス」はJR各線が対象なので、東京から総武線快速を使って西船橋まで、そこから東京メトロ東西線で葛西まで戻ろうとも思ったが、やはり面倒くさいので、大手町まで歩いて東西線に乗ることにした。電車は荒川を渡る少し前に地上に出る。周辺は東京らしくないちょっと広々とした街並み。この地に東西線が開業したのは昭和44年で、その前後に開発が進んだためらしい。環境は良好そうで住んでみたいと思ったりもしたが、実際人気のエリアらしく東西線の混雑はかなりのものらしい。

下車駅である葛西は環七沿いにある。もうお分かりかもしれないが、目的地は駅のすぐ前、高架下にある「地下鉄博物館」。まだまだ夏休み中、館内は子ども達を中心になかなか賑わっている。熱心に写真を撮っている人もいる。一番の目当ては、銀座線1000形と丸の内線300形の保存車両。日本最初の地下鉄車両と、地下鉄といえばコレといえるような赤い電車である。非常に綺麗に、開業当初の如く保存されていて、当時の上野駅のプラットホームも再現されている。しばらくの間車両のディティールをじっくりと撮影。その他、運転シミュレータや模型などを見学。またまた時間が押してしまった。葛西から東西線に乗り込み、茅場町で日比谷線に乗換え。恵比寿に向かう。都市の地下を巡るためなのか、もしくは都市そのものを感じることができるためなのか、やっぱり地下鉄という交通機関に対しては、他のものには無い何か特別の思い入れがある。

最後に訪れたのは恵比寿ガーデンプレイスの、東京都写真美術館。コレクション展「旅」と題した、旅をテーマとした所蔵品の展示が行われていて、その第2部としては主に1960~70年代にかけての日本の作家のオリジナルプリントが展示されている。いずれも今まで影響を強く受けた作家のものばかりであり、大変楽しみにしていたのだが、とりわけ牛腸茂雄のプリントが見られたのは貴重な経験だった。また、これも影響を受けた荒木経惟の「センチメンタルな旅」のプリントも良かった。森山大道の「北海道」はむしろもう見慣れてしまった。

帰りの列車の中で読むためにと、美術館のショップであれこれ書籍を見ていたが、結局手にしたのは森山大道の最新エッセイ集「もう一つの国へ」。森山氏の文章は非常に洗練されていて、想像力を掻き立てる。写真同様大好きなのだが、今回まとめられたのは写真論や紀行文的なものとは若干違って、割とプライベートな事柄が多く綴られている。具体的な日々の行動、仕事の進め方や、家族の事など、今まで知らなかったことがたくさんあって面白かった。また、自分と思わぬ共通点を見つけられたのも大きな収穫。

山手線・中央線を利用して上野駅まで出てから、満員の東北線の車内で一気に読みふけると、宇都宮もすぐに感じる。実際はそれなりに時間がかかるはずだが、案外東京から通勤している人もいるのだと知り驚いた。ここで乗換えをして読み終えたのは、終点黒磯に着く少し前。いつもの事だが、やはりこの街の夜は夏でもひんやりとしている。

【2018年のひとこと】
地下鉄博物館へは東京に移ってから何度か訪れることになる。近辺の葛西や浦安などの街並みも好きでじっくり撮り歩きたいと思っていたが、数度だけで時間切れになってしまった。森山さんの文章には今も憧れているけど、氏の写真と同様、少しも近づけていない。

 

 

 

09.11.29 東京暮らし(09.11.24~29撮影)

ようやく落ち着いたところ。火曜の夜に東京に入り、何もない部屋で寝袋に包まり、水曜は一日荷物の搬入と生活空間の確保、木曜・金曜は久しぶりのオフィスワーク。仕事場となるのは日本橋だが、ザ・ビジネス街という感じ。お昼時なんかはスーツ姿で歩かないと何だか浮いた存在になりそうだ。会社から歩いてすぐのところにある三井本館と三越本店の荘厳な建築に圧倒され、いわゆる様式建築も好きになってきた。やはりすぐそばの日本橋にも行ってみたが、むしろ上を高速道路が走っている方が、東京のエネルギーを象徴しているようでいいじゃないかという気もする。両者の取り合わせも美しいといえば美しい。

部屋は葛飾の立石にあって、日本橋からだと総武線もしくは浅草線と京成線でということになる。半蔵門線で錦糸町で乗り換えということもできなくもない。最後のルートはほとんど意味はないのだが、通勤ルートを選べるのは実に贅沢なことと思う。たまたま来た電車がVVVFのメロディを奏でる京急車だった日には……。最寄り駅の京成立石は、いかにも下町といった風情ある町並みとなっている。そろそろちゃんと撮りに行かないと。

くたくたになりながら土曜の休日を迎え、種々の買い物の続きなど。バスで綾瀬駅に向かい、千代田線支線のオールドタイマー(というほどでもないが)を見に行く。来週には近くの車両基地でイベントがあるので、訪れることとなりそう。綾瀬から常磐線で亀有まで。転居する際に幾人にも言われましたが、例の警官のまち(もしくは例のフーテン)。しっかり町おこしに利用されている。そんな下町の風景を眺めつつ、買い物をしたのは結局ショッピングセンターのアリオ亀有。今に始まったことではないが、どうしてもこういうショッピングセンターの方がしっくりきて、もっぱら利用してしまうのである。食事なんかも全国チェーン店を選ぶ傾向があり、どうなのだろうと考えるときがある。

帰りはバスで立石まで戻る。今日見て回ったのは半分くらいだけど、葛飾区のエリアはなかなか広そうだ。日曜も休みなのでもう少し近所を回ってみようか。

【2018年のひとこと】
8月に東京に行ったあと、9月は仕事で何度か北海道へ。その後に(少なくとも辞令を受ける側としては)唐突に東京転勤を命じられてバタバタと準備することになった。特に深く考えないで部屋は立石に決めたけど、結果的に人生で最良のセレクトになるとは思わなかった。引越し後の準備もそこそこに仕事にも慣れていないのに、さっそくあれこれ近所を歩き回っていて、当時の浮ついた感じが伝わってくる。

 

 

 

09.11.30 立石・浅草・上野(09.11.29撮影)

まだ買い足したいものがあったので、近くの繁華街である上野に出てみることにした。やっぱり車が無いのは、特に家具に類するものを買うときに非常に難儀するものだ。かといって、今の経済レベルではとても車を持てそうにもないし、タクシーを使いまわすのも実に贅沢な行為である……。ひとまず、立石の部屋を出てすぐ近くにある中川に出る。大変曲がりくねった運河のような川で、はしけみたいなものも停泊しているが、元は関東の大河川たる荒川の本流だったところで、暴れ川としても名高いところだったらしい。その証左にかなり堅固な護岸がされているが、この辺はいわゆる「海抜ゼロメートル地帯」らしく今なお水害の不安がある。しかしながら、川べりなどの水域は散歩していて非常に気分がよく、シャッターボタンに触れる機会も多くなる。

しばらく川べりを歩いて、自宅の最寄り駅である立石駅に至る。もう何度も日常的に歩くようになっているが、ようやくちゃんと駅周辺の撮影を行う。戦前からの雰囲気をも残す商店街は非常に趣き深い。そこから京成線・浅草線に乗って浅草まで。降りてしばらく隅田川沿いを歩いて、吾妻橋を渡る。そして国際的観光地たる浅草寺へ。ここを訪れたのは12年ぶりくらいだろうか。

仲見世・五重塔・花やしきなど非常にベタなコースではあるが、写真を撮っていてとても楽しかった。しばらく歩くうちに場外馬券売場へ。29日はG1レースの雄であるジャパンカップのためなのか、大変多くの人出で賑わっていて、付近の路上に広がる居酒屋はどこも昼間から皆さん楽しんでいる。そこに小さな子供を連れた家族がいるのはちょっとシュール。久しぶりにちょっと競馬やりたくなった。

浅草の繁華街を抜けて、銀座線でいえば田原町・稲荷町の、寺町・問屋街を歩く。次の繁華街上野はすぐそば。だいぶ日も傾いてきたが、上野公園をしばらく歩き回る。夏に訪れたときにも少し述べたが、ここも日本建築史の殿堂とも言ってよいような場所である。ようやく紅葉が終わろうかとしているところで、公園を埋め尽くす落ち葉が大変美しい。公園の半分くらいを歩き、すっかり日も暮れた後は、やはり多くの人で賑わうアメヤ横丁(通称アメ横)を歩く。年の瀬に比べたらまだまだなのだろうが、普通に歩くのはちょっと難しいくらいである。外国に行ったことはないのだが、ここの市場の風情は非常に強くアジアを感じる。最後は上野駅前のヨドバシカメラと無印良品で買い物。重い荷物を抱えて、京成上野から堀切菖蒲園、バスを乗り継いで戻ってきた。

この先順調に休みが取れるかわからないが、東京にいるうちはできるだけたくさんの街を見て歩きたいと思う。交通費とコーヒー代くらいであんまりお金もかからないし。今回は結果的に銀座線沿いに歩いたので、そのまま続けて神田・秋葉原・銀座と、線的に進めていくか、地区毎に面的に進めていくか、ちょっと考えるだけでも面白い。

 

【2018年のひとこと】
冒頭に書いたようにさすがに東京で自家用車を持つ生活はできなかったので、電車を利用してよく上野に買い物に出ていた。浅草をブラブラ歩くのも楽しかった。色々と撮影プランは立てていたが、結局葛飾からじわじわと広げて、東京東部を何度も歩くということに落ち着いた。

 

 

 

09.12.07 荒川土手・日本橋・秋葉原(09.12.06撮影)

今日の撮影も近所の川辺からスタート。部屋から見える首都高速「かつしかハープ橋」へ。S字カーブに架かる斜張橋で、しかも勾配もあるという複雑な構造をしているがとても美しい。この橋は荒川・綾瀬川・中川が合流するところに架けられている。大きな水門や高い護岸がしてあるので大丈夫だとは思うが、本当に水害にならないでほしい。荒川の土手に出ると眼前に押上にある「東京スカイツリー」が見えてくる。とても下町に調和するとは思えない超高層建築だが、これでもまだ3分の1くらいだという。完成まであと2年くらい、これからもたまに見に来よう。

荒川河川敷にはサッカーや野球の試合をする子供たちや(撮影バイトしていた頃を思い出す)、釣竿を垂れる人、自転車に乗ってあるいはランニングスタイルで走り抜ける人など、思いのほか多くの人々が集まっている。普段密集地域で暮らす人が解放されたような感じか。ここから河口の葛西までは8キロ。案外あるような感じもするが、今後そっち方面も撮りに行きたい(この前は地下鉄博物館に寄っただけなので)。

荒川を渡って墨田区へ。鉄橋の端にある八広駅へ向かう。葛飾川の四ツ木駅も鉄橋の端にあって、両駅の駅間は当然とても短い。今でも道路橋は多いとは思えず、今以上に荒川の隔たりは大きかったのかもしれない。そこから京成線に乗って都心方面まで。やってきた電車は京急車。やっぱり京急のはつくりがやたら豪華である。列車は都心方面に乗り入れて、降りたのは日本橋駅。いつも通勤で使っている駅(主に帰路)だが、重い荷物を普段は抱えていて撮影もままならないので、今日はこの周辺を歩くことにした。

江戸橋から昭和通、日本橋に出て三越前を歩く。三越本店のあたりを除けば、シャッターを下ろした店舗が多くとても静かである。そのまま神田駅のあたりまで出て、いかがわしい店のある辺りを歩いていたが、やはり人通りを少ない。そのままブラブラ歩いて秋葉原に出ると、再び雑踏が現れる。ここに来たのは2,3回目くらいだが、日曜に来たのは初めて。中央通を流しただけだが、やはりこの街の雰囲気は独特だ。アニメグッズも電子部品もさっぱりだが、面白いので、また遊びに来よう。新小岩からだと総武線1本で便利であるし。最後はヨドバシカメラで買い物して(モノクロ印画紙などの商品が非常に豊富)、本屋でも買い物。そういえば、ここ最近全然本なんて読んでいなかった。

自分で勝手に決めた「銀座線沿線ルール」に従うと、次は京橋・銀座あたりから歩を広げていくことになるのだが、また新しく「濹東綺譚」を買ったので、それを読み終えてから比較的近所である玉の井(今の東向島あたり)を歩くのもいいかもしれない。

【2018年のひとこと】
この時はじめて荒川河川敷に出会う。一般的イメージの「東京らしさ」とはおおよそ離れているかもしれないが、個人的には最も東京らしさを感じる重要な場所になった。神田や秋葉原も仕事帰りに時折用事を足す街になった。

 

 

 

09.12.13 四つ木・目黒(09.12.12撮影)

朝は午前10頃までたっぷり寝ていた。まずは部屋の片付けや朝食にして、カメラを持って出かけることに。本日は全くのノープランだったが、北海道美術ネットのヤナイさんによると必見、とのことだったので、目黒区美術館の「文化資源としての炭鉱展」を見に行くことに。その前に、まずは家のまわりをウロウロ。先週と同じく荒川の方へ足を進めたが、今日は土手に上がらないで、その下にある四つ木の住宅地を歩いて、京成電鉄の駅を目指すことに。僕の住んでいる立石に比べると、商店らしいものはほとんどないが、町工場がいくつかあって、街路の狭隘さと複雑さは随分と上回っている。だいぶ築年数の経った建物も多い。しばらく路地を迷ってみて付近を撮影。

それにしても今日は暖かい。こちらに来てから寒いと感じたことはほとんど無いが、11月並の陽気だという。歩くと少し汗ばむ感じである。札幌の9月下旬のような感じだろうか。四ツ木駅に到着。先週乗車した八広駅と同様に、荒川のそばに鉄橋を挟むようにして建っている。上空には首都高速。付近の町並みにはとても似合わない小奇麗な高架駅である。現在高架化工事が隣の立石まで進む計画があるというが、あの昭和の面影を残す、というか昭和そのものの駅舎や、商店街を分断する開かずの踏切が失われてしまうのはとても惜しい。同時に駅周辺の再開発もという噂もあるが、地域住民の反対が強く頓挫している状態だという。確かに古びた商店街ではあるが、にぎわいはそれなりにあって、新しい高架の下に小奇麗な店が入って、タワーマンションができたとしても誰も喜ぶ人はないだろう。

さて、話を戻して四ツ木駅である。やってきた電車は直通先の北総鉄道のもの。なんだか東南アジアの都市を走ってそうなチープなデザインの電車である。ちなみに製造年は昭和56年と意外と新しく、内装はいたって普通である。このいつも利用する京成押上線・都営浅草線は、京成電鉄・京急電鉄・北総鉄道・芝山鉄道・都営交通局の各社・局が乗り入れているので、色々な電車・種別に乗れる楽しみがある。京急の車両は内装も外装も豪華で、これにあたればラッキーと思っている。電車は地下鉄線に入って都心を通り抜け、三田で都営三田線と乗り換える。目的地の目黒までは3駅。新しく綺麗な駅である。ここはもう東急の勢力圏であり、その高級なイメージにはわが京成と大きな隔たりを感じる。

ショートカットしようとして住宅地をしばらく迷ってしまったが、何とか美術館に到着した。普段は海面ゼロメートル地帯のようなところで活動しているので、久々に坂のある町を歩いたのは新鮮であった。でも、高級そうなマンションばかりであまり写欲が湧かない。このあと訪れることになるところも同様なのであるが、どうも23区の西側の方はアウェイ感が漂っていて、あんまり歩いていてもピンとこない。じゃあ、東側はホームなのかと問われればそうとは言い切れない面もあるのだが……。

展示は非常に面白かった。この美術館を訪れるのも当然初めてだったので、どうなのだろうと思っていたが、途中で疲れてしまうほどのボリュームである。炭鉱にまつわる絵画・写真・グラフィックなど、400点あまり展示されていて、炭鉱というかつて日本の産業の中心から、ごく短期間にほぼ消滅してしまったという稀有な存在からその「文化」を読み取ろうとするものである。やはり写真を一番熱心に見ることとなった。有名どころから、今回はじめて知った作家(ほとんどがこっち)まで。炭鉱という重たく、非常に人間的な、また物質・形状的な面でも興味深い被写体は、そうそう見られるものではないだろう。もちろん、それは写真に限ったことではないのだが、一番ダイレクトに、精細に、またコンセプトとしても、リアルに伝わってくるのが写真で、やっぱり自分は写真しかちゃんと見られないのではと思ったりした(もっともしっかり理解できているのか甚だ疑問であるが)。

さて、美術館を出るとすっかり日が暮れてしまっている。丘の先に恵比寿ガーデンプレイスが見えるので、ついでに写真美術館にも寄ってみようと思い歩いてみた。その道中はやはり高級住宅街で特に見るものも無し。土曜日のガーデンプレイスはさすがに人出がある。木村伊兵衛とブレッソンの展示を見ようと思ったが、なにやらエントランスには行列があり、閉館までの時間もわずかであったので、またの機会にする。

ガーデンプレイスはクリスマスの雰囲気に溢れている。イルミネーションのある広場には大屋根が掛けられているが、その意匠や雰囲気はサッポロファクトリーのアトリウムとそっくり。それもそのはずでどちらもサッポロビールの工場跡地を再開発したショッピングモールで、開発時期もほとんど同じなためである(札幌の方が先行している)。これは個人的な思い入れも強い気がするが、六本木ヒルズなど都内の他の再開発地よりも落ち着きがあって、雰囲気がいいように思われる。周囲の環境のためもあるかもしれないが。それでも何だか場違いなような気がしてきたので、早々に立ち去ることに。

次は渋谷の町に出てみる。何かの大規模イベントでもあるかというな人出である。この師走の土曜日18:00の印象のみを、この街に負わせるのは酷かもしれないが、ろくに歩道も歩けない状況に苛立ってきた。もっともここはいつ行っても大変な人出であまり好きにはなれなかったが。だんだん頭痛もひどくなってきたので、とりあえずここから離れることに。頻発するこの頭痛は持病のようなものだが、寝すぎたときとエネルギーが足りないときに発生しやすい。

本当は買うものがあったのだが、地下鉄に乗って一気に錦糸町まで。ようやく落ち着ける。具合も少し良くなってきたので、買い物をしたり、本屋でしばし立読みをしたり。やはりこれくらいの規模のところの方が落ち着くことができる。ヨドバシカメラもあるし。やっぱり渋谷や新宿のような盛り場過ぎるところは良くない。もっとも錦糸町界隈は近年では歌舞伎町よりもデンジャーな場所になりつつあるというが…。

永井荷風の随筆集を買った。主に東京の街歩きに関するものを集めたものである。冒頭から裏路地に対する愛情など美文がずっと続く。生まれは小石川で、住まいとしては六本木にあった偏奇館が有名であるが、その活動した場所や銀座や浅草、また当時私娼街のあった現在の墨田区のあたりである。もっとも戦前の東京は新宿も池袋も大きな町ではなく、西側は郡部のような趣きであったろうから歩きようもなかったかもしれないが。そうかと思えば、荒川土手にも出てみたり、やはり郡部であった葛飾を歩いたり、ついには終の棲家を千葉県の市川に求めたりと、戦前の東京的なものをその東側に求めていたのではないだろうかという気がしてくる。また好んで京成電鉄を利用していたともいい、荷風の作品にも通じる高等だけどそのちょっと俗的・土着的なものが、の路線の沿線にはあるのかもしれない。もうそろそろ街歩きにも飽きる頃となるかもしれないが、自分もそういう感覚を持って、東京の東側を中心に歩くことになると思う。

外を吹き荒れる暴風が気になって眠れず、もう午前3時半になってしまった。

 

【2018年のひとこと】
この日はじめて本格的に東京の西側を歩くことになったが、あまり肌には合わなかったようだ。あらゆる街には独特の雰囲気があるけれど、特に東京の街は駅ごとにも性格が分かれていて、それを感じることができたのも非常に贅沢なことだったと思う。そしてこの記事で、僕の東京生活の重要なパートとなる永井荷風が初登場。その以前から好きで読んではいたけど、荷風が歩いた街を空間的に共有できることになって、その世界にぐっと深入りしていくことになった。それにしてもこの頃は仕事も忙しかったのによく夜更かししていた。

 

 

 

09.12.14 濹東迷路(09.12.13撮影)

今日は一日曇り空だったが、部屋にいるのもなんなので、あまり気は乗らないものの週末の日課である撮影に出かけた。平日は結構忙しくしているが、土日は特にすることも無く、また遠くに出かける資力もないのである。昨日の記事の続きのような話になるが、今日は京成曳舟で降りて向島周辺を歩くことにした。まずは部屋から立石駅までの風景を撮影。立石から京成曳舟までは3駅150円。

特に歩くルートは決めなかったが、荷風が歩いたように曳船の駅から、玉の井(現在の東向島)の方へ向かう。荷風は「墨東迷宮(ラビリンス)」といったが、本当に街区は狭隘で軽自動車が何とか通れるようなものばかり。しかも複雑に曲がりくねったり、袋小路があったりで方向感覚が分からなくなってくる。最初は、東武線の高架を目印にしていたのだが、かの線路も曲がりくねっているので全く役にはたたない。付近を走る幹線である明治通りがいろんな方向から見えてきて、びっくりしてしまうが、急ぐ旅でもないので、しばらく迷宮を楽しむことにする。遠くに首都高速と隅田川の堤は見えているのだし。

この街区の建物といえば、確かに道は区画整理されていないものであるが、比較的新しい感じを受けて、所々高層マンションも見える。あの東京スカイツリーも近くで天に向かって日々伸びている。その区画のためもあるが、そこを埋める建物の面白さのために、なかなか迷宮を抜け出すことができない。しかし、それがまだまだ序の口だと後ほど知ることとなるのだが。

堤通という大きな道路に出る。かなり広い中央分離帯が取られていて、普通の東京ならば高速道路にでもしてしまいそうなものだが、しっかりと街路樹が植えられている。札幌で言うと資生館小学校前(南4条西7丁目)から、消防局(南4条西10丁目)のごく短いものの図太い中央分離帯があるが、あれくらいの規模のものが500メートルくらい続いている。どうしてだろうと考えていたが、その道路沿いにぴったりと寄り添う屏風のような団地について調べるうち、その理由が分かるようになる。

都営白髭東団地。大規模団地には違いないのだが、その棟は継ぎ目無くつながっていて一枚の壁のようになっている。かつて東武線から眺めて不思議に思っていたのはこれだったのか。屋上には大きな電波塔が立っていて、人工地盤に立って見ると棟の間に水門のようなものがあると思っていたら、道路をまたぐ大きな門であった。そういえば、棟の間を抜けるときにも大きなゲートをくぐってきたし、一体どういうことなんだろうと思っていたが、実はこの団地災害時備えた設計になっているというのだ。関東大震災の教訓から、避難場所である隅田川河川敷への、延焼を防ぐための防火壁となっているとのことで、さきほどくぐった大門はその際は閉じられることとなっているというのだ。また、ベランダにはシャッターが自動的に下ろされることで、さらに延焼を食い止めるのだとか。消火用に大きな放水銃も備わっていて、随分大仰なものだとも思われるが、先ほどのあの狭隘な街区を思い浮かべれば、震災時には甚大な被害が及ぶことは用意に想像できる。その面では関東大震災も東京大空襲も決して過去のことではないのだ(2つの惨事の被災地域が一致していることは偶然ではないだろう)。ちなみにこの団地には10万人が7日間生活できるだけの物資が備蓄されているんだとか。つまり、団地の前に続くあの分離帯の緑も火除け地の役割を期待されているというわけだ。

さて、水神大橋で隅田川を越えると荒川区である。対岸の墨田区とは対照的にこちらは、新しい集合住宅が立ち並ぶ町並みで、台場や豊洲のような雰囲気である。近くの公園には家族連ればかり。隅田川沿いに下りてしばらく撮影。全景が見えないのが残念だが、先ほどの白髭東団地と首都高速の取り合わせがとてもいい。昨日とは打って変わって肌寒く、曇り空と相まってこの時期の日暮れはとても早い。今度は白髭橋を渡ってまた墨田区に戻る。

またまた、狭苦しくも趣き深い商店街を歩いて、曳船駅に戻ることにしたのだが、道を誤って別の町に出てしまった。ここは京島という、あとで調べたら駅に程近い場所だったのだが、とにかく古い!さっきまでの向島の町並みが霞んでしまうほどに。高度成長期どころか、戦前のものと思われる建物が密集している。さすがに震災前のものは見受けられなかったが、ひょっとしたらあるのかもしれない。そして随分と子供と猫が多い。すっかり日が暮れてしまったのでカメラはしまっていたが、目の前の光景にもう、何が何だか頭がクラクラしてきた。先にこっちをまわっておけばよかった。まぁ、近所なのでまた訪れればいいのだが。これだから下町はやめられない。

結局2キロメートルほど余計に彷徨い歩いて曳船駅に戻ってきた。最初はあんまり気乗りしなかったが、結果的には収穫は大きかったのではないだろうか。

【2018年のひとこと】
この日はじめて東向島や京島の町を歩く。今も東京を訪れる時は必ず寄る町だが、初対面のワクワク感を越えることができないのだろう。何度歩いてもこの迷路には惑わされてしまうのだが、東京スカイツリーの完成から5年、人の流れも大きく変わり、また建物の老朽化には勝てないようで、街の姿も変わりはじめているようだ。それでも僕にとっての夢のような町という立場は変わらないと思う。

 

 

 

09.12.20 京島~三ノ輪(09.12.19撮影)

本日も下町巡り。まずは先週歩いただけだった墨田区京島へ向かったのだが、この前迷い込んだ、魅惑的な路地には出会うことは出来なかった。何となく歩いた記憶のあるところもあるのだが、ゆるやかなカーブのついた道に突き刺さる斜め道や行き止まりなどと、やはり街区が迷路状になっていて、うまく進むことができない。それとも昼と夜では印象が随分と違うものなのか。それでもこの地区の散歩は面白かった。木造建築の密集する中に、高層マンションが突如林立する光景もあり、また「建築計画のお知らせ」の看板をいくつか見かけたので、数年したらこの一体の風景は一変してしまうかもしれない。京島から少しだけ歩いて押上(おしあげ)へ。ここには現在建設中の東京スカイツリーがあり、観光客と見られる人々や写真撮影する人が多く見られた。進捗はまだ3分の1と少しくらいだが、それでもかなりの高さがある。やはり、周囲は垢抜けない町並みであるので、何も知らないでここに訪れた人は驚くかもしれないが、ここもタワー完成の頃には大きく変化しているかもしれない。

さらにもう少し歩くと、隅田川に出る。吾妻橋はすぐそこで、以前に訪れた浅草寺も至近である。少し川べりを歩いて歩行者専用の桜橋を渡って台東区へ。考えてみると、隅田川も何度か歩いたが、この近辺を歩くときの決まりとして、その橋たちを巡るのも面白いかもしれない。一番下流にあるのは勝鬨橋だと思うが、そこにたどり着くのはいつになるのか。川を越えて今戸や清川と呼ばれる地域へ。この辺は皮革の加工場や関連する商店などが非常に多い。そういえば、墨田区の荒川の土手下の八広の一部も、同じような状況を示していて、何故かこのようなところは、川べりなんだろうかと考えることがある。続いて日本堤のあたりを歩く。ここはいわゆる「山谷」と呼ばれている地域で、やはり格安の旅館が数多く並んでいた。しばらくすると千束という地区に入るが、ここも「吉原」と呼んだ方が通りがいいかもしれない。下町の中に突如一区画、その手の店が立ち並ぶようになるのだが、従業員が通りに立っていたり、明らかに柄のよくない車が居並んでいたりしてカメラを持って歩くには若干の抵抗のある一角であった。

さらに歩みを進めると、三ノ輪に到達する。ここはアラーキーの実家があったところで、しばしば写真集にも登場するところだが、住所的には狭いエリアだったので少し意外に感じた。そのご実家のあるところは随分と変わってしまったようだが、古い町並みもよく残している。地下鉄日比谷線の駅から歩いて数分のところで、これだけ下町の風情を感じられるというのは、逆に貴重なことかもしれない。「投げ込み寺」として有名な浄閑寺にも立ち寄った。境内には永井荷風の詩碑もある。まったく意識していなかったということはないが、向島から吉原・三ノ輪に至る本日のコースは、荷風は何度も歩いただろう道のりをなぞることとなったようだ。

そんな三ノ輪のアーケード街を抜けると、都電の三ノ輪橋電停がある。電停は綺麗に「レトロに」整備されていて、昔のブリキ看板などが飾られているが、こういうことじゃないんだよなぁと感じてしまう。そもそも商店街が都電をモチーフに整備されていて、それにケチをつける気は全く無いのだが、どうも最近の「レトロブーム」には疑問を感じないわけでもないのである。もっとも商店街の入り口に立つ写真館は、都電荒川線の前身である王子電気軌道の本社ビルであり、店は歴史と賑わいに満ちていて、決してつくりもののレトロばかりではないことを強調しなければならない。

三ノ輪橋から都電に30分ほど揺られ、「都営雑司が谷」電停で降り、副都心線「新雑司が谷」に乗り換えようと思ったが、駅が見当たらずしばらく迷うことに。乗り継ぎの電停は隣の「鬼子母神前」だったようだ。こちらは電停の目の前に駅の入り口がある。これまでの雰囲気から一変して、今度は近未来的な新線の地下鉄に乗る。新宿に用事があったが、かなりの空き具合にびっくりした。この電車は渋谷まで向かうものだが、並行する山手線の混雑さはなかなかのものだろう。

結局新宿での目的は達することが出来ず、友人Hと約束をしたので、次の目的地を目指すことに。土曜夜の新宿を歩いて、東口まで到達したのでが、とにかく、人、人、人。先週の渋谷以上の人出である。駅前広場やコンコースを埋め尽くす群集を見ていると、「わや」という言葉が浮かぶ。北海道弁で「滅茶苦茶な」という意味だが、ニュアンス的にはちょっと違う気がする。「滅茶苦茶」よりももっと雑多なそれこそ「わや」としか言い表せない。その後の埼京線の異常な混雑振りにも閉口したが、やはり新宿の街は写真に撮るととても面白そうだ。しかし、とても重たい一眼レフを持って人ごみの中を歩く気にもなれず、一度フォーメーションを考えてみたい。

Hと合流して、十条の焼肉店で飲むことに。まさか葛飾区民がこんなところで飲むとは思わなかった。ちょっと物足りなさもあったので、友人と別れてから再び新宿の街に出たが、結局コーヒーだけ飲んで、地下鉄を乗り継いで家まで戻ってきた。所要時間は1時間ほど。以前は飲んでから那須塩原まで新幹線に乗って帰っていたというのに(1時間半ほど)、随分と遠く感じるものである。

新宿は普段でも大変な雑踏であるというから、写真的な興味はさておき、通勤のルートや普段の活動場所に含まれていなくて本当によかったと思う。やっぱり自分は東側の人間なのだなーと思ったが、さすがに下町の風景ばかりでは食傷気味なので、ちょっと別のものも見たいかなと思い始めている。

【2018年のひとこと】
この日もじっくり下町を歩いていた。今ではスマートフォンの地図で道を調べてしまいそうだが、道に迷うということも魅力の一つだろう。その後に新宿の雑踏に辟易していたようだが、そのコントラストもまた実に東京らしい魅力だと思う。十条の焼肉店はこの後も何度か訪れた。でも写真に撮ったことは一度も無かった。

 

 

 

09.12.21 羽田空港(09.12.20撮影)

海を見たいと思った。
相変らず休日は暇なので、下町を中心に細かく歩き回っていたが、さすがに少しマンネリを感じてきた。少しうら寂しい風景もたまには歩いてみたい。今日は午後2時まで部屋でゆっくりしてから、いつものように立石駅へ。広大なニュータウンのある北総線方面に行ってもよかったが、冬至の直前、早くも日は傾き始めていたので、ここから最も近い海域でもある羽田空港を目指すことに。ちょうど京浜急行の車両がやってきた。行き先は三浦半島突端に近い三崎口。ここも近いうちに訪れたい。京急の車両は豪華なつくりのものが多いが、今日は初めてクロスシート(進行方向と平行に座る席)を陣取ることが出来た。通勤路線でまた地下鉄線内もクロスシートとは、何だかとても贅沢な気がする。地下鉄線を出て、品川を過ぎると、かなりの高速度で電車は飛ばしていく。車両のつくりもそうだが、職人芸的なダイヤグラム・車両運用、多様な増解結など、人気の私鉄である理由は色々あるが、この高速度も魅力のひとつである。京急蒲田で空港線に乗り換え。やってきた車両はまたも京急車。しかも発車時にVVVFインバータがメロディを奏でるものである。この路線には京成・北総・都営地下鉄など、さまざまな会社の車両があるから、これはなかなかラッキーである。またしてもクロスシートに座って空港まで。

まずは羽田空港ターミナルへ。札幌との行き来でよく訪れる場所だが、いつも新幹線への乗り継ぎなどで忙しいばかりで、ゆっくり歩き回る機会は無かった。観覧デッキは飛行機を見送ったり、写真を撮る人などで賑わっている。一瞥すると、ここでは200~300mmくらいのレンズが「標準」のよう。沖合いには新滑走路の工事も進められている。この工事現場を見学できるデッキもあるようだが、空港ターミナル隣のモノレール新整備場駅から、徒歩30分かかり、また開館時間ギリギリとなってしまうので、見送ることに。それでも一応、近くには行ってみようと思いモノレールに乗り込む。いつもなら考えられないことだが、車内はガラガラで、結局1両の中に自分1人だけ乗せて発車した。最初降りようと思っていた新整備場駅を過ぎると、建設中の国際線ターミナルが見えてきた。オープンまではまだ1年近くかかるようだが、付け替えられる予定のモノレールの軌道が伸びている。京急線の新駅も出来る予定である。モノレールを天空橋駅で降りる。ここはかつてのターミナルビルがあったところであるが、今では広大な空き地が広がるばかりである。もっともただの空き地ではなく必要な施設なのだろうが。こんな広大な場所を歩いたのは、秋に石狩を訪れた以来だ。空港へ続く広い道路を渡ると、ようやく水面が間近に現れた。磯の香りも随分とするが、ここは多摩川の河口にあたるようだ。釣り船のようなものも数隻係留されているし、当然ながら釣り人も何人か糸を垂らしている。対岸には住宅街と、工業地帯、それに首都高速。さらに遠くには初めて見ることとなった富士山が。ここで日没を迎えることとなる。富士山ともども、東京でこんなに綺麗な夕日が見られるとは思わなかった。

昨日もそうだったが、ようやく冬らしくなり、寒いと感じるようになってきた。それでも雪がないから、どうも「冬」という気持ちにはなれないのであるが。また天空橋駅に戻って、今度は京急線に乗る。ちなみに駅名の由来となっている、天空橋は駅のそばを流れる海老取川にかかる、さほど大きくない人道橋であった。た蒲田で乗り換えて京成立石まで。そんなに距離があるわけでもないのだが、いくつもの路線を乗り入れる関係で、運賃は随分と高くなっている。さらに千葉の奥にある北総線は、その建設経緯のためもあって、首都圏一高額な運賃となっていて、「財布落としても、定期落とすな」と言われるらしい。ここも今は広大なニュータウンを走るだけだが、成田空港へのアクセス鉄道が開業すると、様々な変化が見られるかもしれない。今度はひとつ、そっち方面にも。

 

【2018年のひとこと】
最近ではLCC利用ばかりで足が向かなくなった羽田空港。今も飛行機を撮ることはないのだが、また訪れたい場所である。ゴミゴミした街中も当然好きだが、たまにはだだっ広い風景を見ないと心のバランスが取れないのかもしれない。当時の理解では航空機撮影の「標準レンズ」は200~300mmとしているが、実際はその倍くらいの焦点距離がないとおかしいだろう。

 

 

 

09.12.30 月島・築地・銀座および本年のまとめ(09.12.27撮影)

12月27日の撮影は、まずいつものように立石駅まで歩いて、少しシャッターを押してから、京成線に乗る。いつものように浅草線に乗り入れて「蔵前」という駅に降りる。周囲は主に玩具などの問屋が集まっているらしい。ここで乗り換える大江戸線へは400メートルほど離れていて、しばらく地上を歩き続ける。別にここに限ったわけではないが、これは「乗り換え」なのか?駅の近くには隅田川にかかる厩橋を見に行く。緑色に塗られ、リベットがびっしり打ち込まれた美しい鉄橋で、隅田川には多く見られるものである。ほとんどが震災後の復興事業で架けられたものであろう。それぞれに趣がある、隅田川の橋巡りもだいぶ順調に進んできた。 さて、ようやく大江戸線の駅にたどり着いたが(深い!)、休日の昼間にしても閑散としている。札幌の地下鉄東豊線を彷彿とさせる光景で、なかなか東京では見られなかったものである。それにしても、「大江戸線」っていう名称はどうなんだろう……。通る地点はそのほとんどが「江戸」の外側。それはいいとしても、なんか未だにしっくり来ないネーミング。他にも新銀行東京とか、首都大学東京とかもパッとしない。いずれも命名者は有名な文学者のはずだったが……。

地下鉄を月島で降りる。駅は東京湾の埋立地としては古参の島の中央に位置している。もんじゃ焼きでも有名な町。街の中央の商店街はそのほとんどがもんじゃ焼き屋で、多くの人で賑わっている。商店街は近年きれいに再整備されたものらしく、歩いていて面白いことはほとんどないが、その狭い横丁には隠れるように店が営まれていたり、洗濯物がぶら下がっていたりと、いつもの調子を取り戻すには十分過ぎるほどであった。路地の向こうにはタワーマンションがそびえているが、これ実に現代の東京らしい風景で、案外たくさんの場所で見ることが出来る。どこの狭い路地もそうだが、この街の軒先には緑が非常に多い。どんなに狭い土地しか持たない家々でも、必ず小さな植木や鉢植えが置かれている。撒いたばかりの水でアスファルトが濡れているのも、大変趣があっていい。東京には諸外国の都市と比べて、緑が少なく、大規模な公園も少ないといわれているが(皇居を加えればそんなことも無いような気もするが)、こういった身近な緑は少なくないように思われる。庭園ではなく箱庭というのが、何だか江戸の風情のような印象である。

また、いろんな下町的な場所を歩いていていつも思うことだが、民家の壁にはある政党のポスターが異常に多いということである。政党は2つあって、いずれも「K」から始まるものだが、この日は指導部から通達でもあったのか、新しいポスターが大量に貼り付けられていた。自宅の周辺もそれを視界に入れずに歩くことが出来ないほどである。やっぱりその地域の産業や経済力に大きく規定されているような気がする。農村地帯には保守政党のポスターが多かったように。それにしても、大きく対立するはずの2つのKのポスターが、1つの民家に並べて貼られているのは、一体どういう了見なんだろう……。

路地を抜けて、隅田川の縁に立つ。そばには水門があって、遠からず今度は勝鬨橋を眺めることができる。一連の撮影において、この川は重要な位置を占めているような気がする。川の水は淀んでいて、時折塵芥も漂流し、少年期の永井荷風が水泳や船遊びをしたという風情はどこにも無いが、東京の都市風景を表現する上で、重要な材料となるのは間違いない。月島と勝どきの間は、運河のようになっていて屋形船などが係留されている。さっき見ていた水門をくぐり抜けて、隅田川に出て行くのだろう。船着場にもちゃんと鉢植えがびっしりと置かれている。やはり「水都」としての東京の風景を見るのが一番愉しいかもしれない。

勝どきの町は再開発事業の真っ最中で、4,50階建ての高層マンションが、いくつも空に向かって伸びている。すぐ隣の月島とは対極の風景。隅田川の対岸は言わずもがなだが、数年したら高層ビルの立ち並ぶ街並みに一変するのだろう。それはそれで、東京らしい風景であり興を覚えるものではある。高層ビルとクラシカルな勝鬨橋のコントラストも面白そうだ。その勝鬨橋は隅田川の一番河口側に架かるもので、中央が開閉する橋として有名である。橋の開閉は早い段階で廃れてしまったが、まだまだ物流の多くを水運に拠っていた時代を物語る構造物だ。ちなみにこの橋は、昭和15年に開催される予定であった「東京万博」の会場である勝どき・月島へのアクセス用として、また世界に向けた象徴性も持たせたものとしても知られている。世相を反映してか、橋の構造・機械類、その技術も純国産でまかなわれたという。同じく紀元2600年の祝典とも併せて行われる予定であった東京五輪も、事変の影響で中止となってしまったが、おそらく昭和15年が、経済的・国際政治的にもピークとなった時代で、日本の近代化の1つの到達点であり転回点であったのだろう。その末路が一面の焼け野原というのは、どこでどう道を誤ったのか……。

さて、橋を渡るとそこは築地の町である。築地という地名も埋立地を表すもので、江戸時代に建設が行われた場所である。市場のある場所としても著名で、もう夕方近くだからそうでもないのだろうが、年を越すための品を求める人々で賑わっていた。すぐ近くには築地本願寺の大寺院がある。まさに大寺院と呼ぶにふさわしい、古代インド様式の建築である。学術研究のための探検隊で知られる宗教家大谷光瑞と、建築家伊東忠太との共作とも言える作品。実際に見ると本当に異国情緒を感じる。本堂は椅子が並べられていて、パイプオルガンまで備え付けられている。まるで教会のようだが、日本の宗教やその他の文化の近代化に努めた、設計者たちの思いを感じる。本堂の傍らには、もう10年以上前になってしまうのか、急逝したhideのための祭壇があって、花やメッセージなどが並べられている。それにしても、この平成21年ほど訃報を耳にした年はなかったのではないだろうか。

続いて高速道路沿いにある旧電通本社ビルを見に行く。今は関連会社のものであるが、昭和42年竣工の丹下健三設計のオフィスビルである。コンクリートでかたどられた特徴的な側面や大きく取られたピロティの空間が、その時期の様式をよく示しているように思われる。ちなみに築地再開発計画という大規模なマスタープランも、丹下は計画していて、実現した唯一の部分として見ることも出来る。他にも、代々木体育館やフジテレビ社屋など、実現するかしないかは別として、巨大な都市計画の中にひとつの建築を置くという、視野の広さには常に感心している。日曜夕方の銀座・有楽町は大変な雑踏は大変なものである。ここでいくつか買い物をしようと思っていたが、すっかり疲れ果ててしまったので、地下鉄に乗って結局秋葉原で買い物をした。雑踏は苦手だと思いつつも、気付けばそこに足を運んでいるような気もする。

秋葉原のCDショップでは、真島昌利のソロアルバムを衝動買いしてしまった。彼のアルバムは名盤ばかりだから、いつかちゃんと買わないと思っていたが、タワレコの商品ラインナップ恐るべし。無人島に一枚だけ持っていけるとしたらこれを選ぶであろうというのは、昭和63年発表の1st「夏のぬけがら」。これは彼の生まれ育った小平や日野などの三多摩地域の情景が全編に渡って登場する。中央線、国立、日野橋、多摩ニュータウンなど固有名詞をこんなに美しく歌詞に織り込んでいる作品を他に知らない。今日までその東側ばかり歩いてきたが、そろそろ西側にも足を向けなければと思い始めていた。米軍基地のある福生には、おそらく純粋な新作はもう出ないであろう某仙人のスタジオもあるというし。

なんだか、今回はいつになく、興味のあることを書き並べ散漫な文章になってしまったが、これでおそらく今年の撮影及び投稿は最後となるだろう。今年の前半はいまいち体調・精神的にも優れなかったのだが、いつものように、栃木・福島・時折東京といったところを撮り歩いた他は、新潟市を訪れたのが大変印象的であった。あそこはもう一度訪れてみたい。春先も胃炎が酷かったが、何とか治癒し、初夏には札幌にて2ヶ月ほど展示。多くの人にご覧いただいて大変ありがとうございました。この展示を元に、次回作も何となく考えてはいるが、仕事の都合など色々問題が無いわけではない。表現の方法や主題なども検討事項だが、次も札幌でやろうかはたまた東京になるのか…。秋にかけても、北海道を訪れることが数度あった。札幌にいる時は遊びに仕事にと例外なく忙しいのであるが、こっちもコツコツと撮り集めたい。そして冬に入って東京への転居。色々窮屈で大変な思いをすることも多いが、やっぱり都市の生活は肌にあっているようで、町々の風景を撮り歩く機会が格段に増えた。やはり自分の写真のフィールドは都市で間違いないようだ。撮影に充てる時間が多く取れるようになったというのも大きい。来年もおぼろげな計画に沿って、色々歩き回り一度どこかでまとめてみたいと考えている。

また、機材に変化があったのも今年2009年であった。昨年暮れにGX200購入し、9月にはEOS 20Dが故障。その直後にEOS kiss Dn, EOS 7Dと立続けに買って、正直支払いが厳しい状況であるがプリンタも購入して(やっとローン完済…)、完全にデジタルに舵を切った今後は、どうなっていくのか自分でも楽しみである。昨年はそのアプローチなどに悩みはあったが、結局森山大道が言うように「にも関わらず撮る」しかないのである。

自分からいろんな風景に会いに行くしかないし、目に入ってくるものを能動的に捕らえようとするしかない。その後押しをデジタル機材はしてくれるような気がしているが、同時に足かせとなっているのかもしれない。とにかく、来年も日々写真について色々考えながら、その行為を続けていきたいと思う。

【2018年のひとこと】
(個人的に)激動の2009年。今ではSNSの短文投稿ばかりでこんな長い文章をとても書くことはできない。大した推敲はしていないけど時間だってそれなりにかかっていたはず。そしてやっぱり随分とあちこち歩き回っていて、様々な興味を書き並べている。今ではベクトルが違うというか、単純にここまでのエネルギーは無いかもしれないけど、当時のように頑張らなきゃいけないのかもしれない。ちなみに平成21年の物故者には忌野清志郎、大原麗子、山城新伍、中川昭一、森繁久彌、平山郁夫など、いつだって著名な物故者は多いのだろうから単純に興味が向いていただけかもしれない。