写真都市

Yasushi Ito Portfolio Page

2006年8月3日 森山大道さんに会ったときの話(2014年2月執筆)

2006年8月3日
北海道教育大学岩見沢校に森山大道さんがいらして、
目の当たりにした言葉をメモしたもの。
他にも色々メモすべきことはあったんだろうけど。
思えば最近は真面目にメモを取ることもなくなってしまいました。

1 写真とは、外向性・内向性をあわせもったものである。

2 写真とは、基本的にアマチュアリズムであり、時代の先端そのものである。

3 自分の写真の対象は、日常。

4(自分の作品展に関して)キュレーターのセレクトは、ヨーロッパとアメリカではかなり異なる。
アメリカでは、戦後続いた日米関係の視点からのセレクトがされている。
(これはアメリカとそれ以外の国々の日本に対する関係の違いそのものを表しているのだろう)

5 写真は結局、「個」の表出である。それは、時代に・自己に対するものである。

6 創作の源泉⇒カウンター(反発)

7 欲望(自己顕示欲など)⇒量に反映される。

8 写真⇒言葉では意味付けられない「何か」(言葉に出来れば写真は必要ない)

9(何故街を撮るのか)都市の「混在」に魅力。
例えば、新宿は街全体がポップアートのようなものだ。

10 一枚の写真には(いくら被写体を「等価」と考えたとしても)否応なしに作家(欲望など、(7)にリンク)が反映される。
その相性が面白い。

11(写真集「写真よさようなら」について)人間の視界には、はっきり像として映っていなくても、見えているものがある。
その全てが写真となり得ると考えた。
だから、シャッターの空落としなどの捨てコマも写真となりうる。
そこには、自分のcodeに符合する何かがあった。
その結果、写真に観念的となり以降の不調の原因に。

12 写真:「世界の開示」「自己の開示」
それは閉ざされていることもある。その危うさを実感し、循環している。

13 「対象」との距離・関係について
例えば、荒木は関係性を構築する人間的なものである。
それに対して、森山は瞬間で、非人間的・機械的に切り取る。
もし、狙った「対象」が写っていないとしても、それが面白ければいい。
きっと、撮りたいものを瞬間的に感じているのだろう。

14 すべての対象は「等価」⇒そのことで、「わけのわからなさ」が見えてくる。

北海道についての写真集・写真展を本格的に行われる前のことで、
北海道に来るってだけで個人的には大事件でしたね。
喫煙所での会話も忘れられません。