写真都市

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2018-08-06 広島への旅(2018年3月執筆)

2018年2月21日から22日は福岡市・北九州市、
23日から26日までは広島市・呉市等を訪れた。
27日は再び九州に戻り、直方市を少しだけ歩いた。
このうち、広島を訪れた時のことを記したので、ここに残しておきたい。
その時の写真についてはこちらに。

 

「広島への旅」

2018年2月22日(木)

ここからは一人旅。博多から新幹線で広島へ。「こだま」号で1時間半くらい。
もうすっかり夜なので外の様子は分からないが、新下関・徳山・新岩国と過ぎて広島に近づくにつれわくわくしてくる。
広島駅も改築されて間もないようで非常に綺麗。
夜10時近い時間で新幹線から降りる人々が居なくなると駅はひっそりとしている。
スーツケースを引きずりながら広島電鉄の市内電車乗り場へ。
広島らしい長大な連接車を待って、車内で車掌さんからICカード「PASPY」を買う。
広島駅を出る時は乗客もまばらという感じだったが、中心部の紙屋町付近ではそれなりに混雑するようになった。
まずは車内から夜の街を眺める。

都心部を少し過ぎた「土橋」という電停で降りる。
あまり車も走らない静かな街だが、ここも本線なので大きな電停で電車がひっきりなしにやってくるようだ。
電停から少し歩いて、築40年ほどのビルの中にある住宅の一室へ。今回の滞在はいわゆる民泊にした。
あまり詳細を書いても仕方ないけど、非常に安価でちょっとしたマンションの1室を使いながらビジネスホテル程度のサービスを受けることができる。
そのため今回のような連泊には非常に適していると思う。
しかし、今回借りた部屋は設備がちょっと古めで窓も薄いせいか非常に寒い。エアコンの暖房だけでは若干不足ではあった。
その分、手入れはしっかりしていて寝具類も充実していたけど。

再び部屋を出て、このあたりで唯一深夜営業をしていると思われるつけ麺屋「ばくだん屋」で夕食。
その後何度も立ち寄ることになる近くのセブンイレブンであれこれと買い物。
ここまで殆ど眠っていなかったので、少し飲んで荷解きをするとすっかり疲れてしまった。

 

 

2018年2月23日(金)

6,7時間くらいは寝たはずだが、寝床が変わったのとやっぱり寒かったのであまり寝られた感じがしない。
ビルの前は電車通りなので電車が走る音が(北海道のような二重ガラスではないので)ダイレクトに伝わってくる。
それは心地よいものの部類ではあるが。

そして部屋のベランダに出ると、電車(江波線)と平和大通りの交差点がよく見える。
非常に広島らしい風景でもあり、この眺望が気に入ってこの部屋を借りたというのが大きい。
もう朝ラッシュ時間帯は過ぎていたけど、しばらく通りを行き交う電車を撮る。

それにしても広島の大通りはどこも幅員が広い。
元々「100メートル道路」と言われていた平和大通りは言わずもがな、電車通りはどこも片道2車線はありそう。
それはもちろん原子爆弾の被害によって0からの復興を余儀なくされたことも大いに関係しているが、
この事が結果的にマツダ本社を持つ「自動車の街」としての広島と、利用者数日本一の「路面電車の街」としての広島それぞれの発展を大きく助けたように思う。
路面電車が発達するためには、道路そのものが充実していて自動車と補完しあえることが重要なのだろうと改めて思った。

平和大通りを歩いて平和記念資料館へ。ここは大きな目的地の一つだったが、その本館は2019年まで改修工事中。
工事の囲いが写らないように工夫したが、なかなか難しい。
その資料館本館から記念碑を経て原爆ドームまでというその設計者である丹下健三が意図した「軸線」沿うように歩く。
もちろん慰霊や平和について考える公園であるが、市民にとっては日常的に散歩やジョギングをする場所でもあり、
もし原爆投下が無くて、元の繁華街のままだったらどういう発展をしていたのだろうということも考える。

原爆ドームを一周りしてから旧市民球場があった空き地に出て、広島バスセンターに立ち寄る。
ぼちぼちお昼時になったので、そのバスセンターが入る広島そごうのお好み焼き有名店「みっちゃん」で昼食。
目の前の鉄板で手早く焼く様子を見るのは楽しい。

思えば旅行前日から寝不足が続いていて疲れがあまり取れていなかったので、
あとは電車バス一日券を買って、ロケハンがてら路面電車にできるだけ乗って街を見ることにした。

まずは泊まっている部屋に近い天満町で降りる。ここは例外的に道路幅員が狭いために電停も道路に線を引いただけ。
そんな狭い街路に連接車が次々とやってくるので、むしろ専用軌道のような雰囲気がある。
電車専用の鉄橋も物珍しく、そんな様子をに目を見張りながらしばらく撮る。

再び電車に乗って広電西広島まで。
ここはJR線とも連絡しているし、宮島線と市内線の乗換えでもあるので、路面電車のものとは思えない大規模な乗り場でもはや駅といってもいいものだろう。
ここから宮島線に乗って終点の広電宮島口まで。市内線ほどではないが細かく停留所に止まっていくので宮島口までおよそ1時間。
いつしか広島市を出て隣の廿日市市となっている。

観光地として有名な宮島へは渡らず、少し駅前を見たくらい。すぐに電車に乗って海沿いにある阿品東電停などを撮る。
電停から見える瀬戸内海は非常に穏やかでこんなところで暮らしてみたいなとも思う。

再び広電西広島に戻って、宇品三丁目行きの電車に乗り換え。
これまでの現代的な連接車などと違って、今度は京都からやってきたというクラシックな車両。
他にも大阪や神戸、福岡などから来た古い電車が沢山走っていて、この手の電車が特に好きな私を大いに楽しませる。
もし札幌の路面電車も主要な路線網が残されていたらどうなっていたのだろうということも考える。

車内から街中を撮影。いくつかの橋を越えて紙屋町などの繁華街を越えていつしか下町風情が残る宇品へ。
それにしても電車が1分も経たず次々とやってくるのには驚かされる。終点である宇品三丁目で乗り換えて、広島港に向かう。
ここはフェリーターミナルになっていて松山や近くの島々への便が数多く設定されている。
これも今までの自分のイメージにはなかったが、フェリーが主要な交通機関として数多くの利用者を運んでいるようだ。
港からしばらく海を眺める。だいぶ日も傾いてきた。

広島港からまた電車で戻って、「御幸橋」で降りる。
もう帰宅ラッシュの時間に差し掛かっていて、自動車や自転車の交通量も増えてきた。
御幸橋は京橋川にかかる大きな橋だが、そのたもとにある写真のモニュメントがある。
新聞記者であった松重美人が撮影したもので、唯一8月6日に撮影された写真ともいわれている。
この場所は被爆当日、辛うじて落橋を免れたため、爆心地方向から避難してくる人々が殺到して凄惨を極めたという。
原爆関係の資料にもしばしば登場する一枚かもしれない。

この写真に関しては、あまりの凄惨さに撮影することをしばらくためらったなどのエピソードが伝えられる。
原爆投下後の写真は数多くあって、それらもこれまで関心を持ってきたが、果たして当日この状況で自分は写真として残すことができるだろうか。
しかし、後世にこれを伝えることが絶対的に必要であったし、この記録という冷酷なまでの写真最大の機能については写真を撮る上でずっと考え続けなければならないテーマなのだろうということを考えている。
そういう意味で広島もまた「写真都市」なのだろう。

さて、御幸橋から少しだけ歩いて皆実町六丁目から再び電車に乗る。
都心部に近い的場町で乗り換えて車内から帰宅ラッシュ時間帯の電停などを撮る。
そのまま終点江波行きの電車に乗って、電車車庫近くにあるマダムジョイというスーパーマーケット(かつては広電ストアといったらしい)で酒や惣菜などを買って部屋に戻った。

歩いた距離は9.5kmで、ロケハンのつもりが結局はあれこれと撮り歩いていたし、考えることも多くて疲れはあまり取れず。
ようやくぐっすり寝られそうなので、次の日はその中から気になった場所を訪れることにした。

 

 

2018年2月24日(土)

この日も土橋電停からスタート。ここにも原爆被害を伝える写真モニュメントがある。他にも市内各所に多数存在している。
今日は昨日ロケハンした中から特に気になった場所に行ってみようと思う。春のような暖かさだ。

電車に乗ってまずは福島町で降りる。ここから少し歩いて太田川放水路にかかかる新己斐橋を渡って川を眺める。
東京の荒川放水路くらいの幅はあるかもしれない。この新己斐橋にも線路があるので、行き交う電車をしばらく撮影する。
やっぱり自分の中にはその街の大きな川を見ないと気がすまないという部分がある。

少し歩いて観音町・天満町周辺の狭い街路を走る電車を再び撮る。また電車乗って昨日のように宇品まで。
宇品は落ち着いた下町といった感じでゆっくり歩いてみたいと思った。宇品三丁目で降りて「宇品ショッピングセンター」まで。
その一角だけ赤茶けたトタン屋根に覆われていてすっかり寂れてしまっている興味深い商店街だった。

引き続き宇品の町を歩く。区画は短冊状の細かい長方形に分かれているが、堤防道路のように周囲から明らかに土地が盛り上がっている箇所がある。
ここは宇品の土地を干拓するために築かれた堤防の名残だという。
他にも起伏がはっきり分かれている箇所があって、平地が広がる広島の中では特異な光景に見えた。
宇品は木造の商店や家屋が続いていて、また海も近くて、こういう所に住んでみたいなとも思った。

再び電車で都心に戻る。袋町で降りて、また歩道橋から電車通りを撮りつつ電停の前にある旧日本銀行広島支店(被爆建造物)に立ち寄る。
現在はギャラリーや展示室として利用されているようで、地下の展示室では、平和記念資料館の工事のためだろうか、その収蔵品や新収集写真などが展示されている。
やはり当時の写真資料が自分としては一番気になる。

続いて本通や八丁堀付近に続くアーケード街を歩く。
アーケードには全国展開しているような飲食店やカラオケ店などが多く、札幌の狸小路のような雰囲気を感じるが、土曜日のためか人通りも多く、より賑やかに感じた。

その後も本通や新天地付近の繁華街を歩いてから、ある人の勧めでお好み焼き屋が軒を連ねる観光名所「お好み村」内にある「あとむ」で昼食。
別の店でコーヒーを飲んでから、相生通にかかる幟町の歩道橋に上がる。
歩道橋の上から広島のメインストリートを行き交う電車を撮る。

この相生通には非常に短い間隔で電停が並んでいる。その間隔はおよそ200m、信号一つ分というところだ。
特に紙屋町電停は東と西に分かれていて、しかも停留所の中でも前後でそれぞれ乗降させることもある。

最初は、もう少し統廃合をした方が所要時間も短くなるのにと思っていたが、歩道橋から眺めていると全く違う印象が生まれてくる。
仮に電停を統廃合しても、電車は次々とやってくる(ましてや全長30mほどの連接車が中心)ので、すぐにホームはふさがってしまい、後続車は手前で待たなくてはならない。
だったら、その手前も停留所にしてしまったほうが合理的だし、何より通りのあらゆる場所から気軽に乗り降りできるということは結果として「水平エレベーター」(ビルのエレベーターのように気軽に乗れるもの)という路面電車らしい機能をより高めているように感じた。
街のどこからでも気軽に乗り降りできて、運賃も安価で、乗るべき電車は大抵目視できる場所にいて、すぐにやってくる。
こうした路面電車の能力を目の当たりにできたのは今回の目標であり、大きな収穫でもあった。

さて、次は幟町の世界平和記念聖堂へ。
ここは村野藤吾設計による現代建築の傑作で丹下健三設計の平和記念資料館と共に重要文化財に指定されている。
しかしながらその平和記念資料館と同様、ここも運悪く改修工事中で全景を見ることはできなかった。
このタイミングの悪さを恨むが、いつかは改修を終えた姿をまた見に訪れたいものだ。わずかではあるが改修費用を献金。

そのまま広島中心部の北端とも言えそうな白島まで歩いて、電車で八丁堀まで戻る。
白島線は他の路線網とは独立していて、電車の本数もまばらなためローカル線のような雰囲気もある。

もう日も暮れてしまったので、夜の八丁堀・流山・薬研堀などの歓楽街をうろつく。
ネオンのゲートをくぐると、幹線道路とは対象的に非常に狭い街路にどんどん車がやってくる。
土曜の夜ということもあって人出も多い。
飲食店に案内所、風俗店に、はたまたストリップ劇場など様々な顔があって、数日前に訪れた中洲にも匹敵する賑やかさだ。
ただ相変わらず夜の街というのは上手く撮れない。

そのまま歩き続けて何となく広島駅前に出て土産物を買ってそのまま郵便局で他の荷物と一緒に発送。
再び八丁堀・本通付近を撮って、幟町の例の歩道橋から相生通をまた眺める。
もうすっかり歩き疲れてしまったが、どこかに入るという気にもなれず、この日も本通のスーパーで惣菜などを買って電車で部屋に戻る。
写真の整理などもしたいから、部屋で居酒屋的に飲みながら作業するのが一番落ち着くというのもあるが。

この日歩いた距離は17.0km、感覚的にはもう少し歩いていたようにも思ったが、街が思っていたよりもコンパクトで、何より細かく何度も電車に乗っていたというのが大きいだろう。

 

 

2018年2月25日(日)

この日は午後から雨の予報。午前中にできるだけ周りたいところだ。

まずはこれまでと同じように土橋電停に出て、この時間帯だけに運行されているドイツの姉妹都市から来た「ハノーバー電車」に乗って終点横川駅まで。
車内の設備は木で作られたクラシックな車両だ。横川駅周辺を撮る。
中心部とはちょっと違った雰囲気の飲食店や商店街が続いている。JRとのアクセスも簡単でここも住みよいだろうなと思った。

横川橋から太田川を眺めると、対岸には「基町団地」の全容が望まれる。
これから川を渡って団地を見てみたいと思う。
まずは山陽本線の鉄橋などを撮りつつ、同じく太田川沿いに立ち並ぶ長寿園団地を見る。
この太田川沿いの大型団地はかつてこの周辺に広がった「原爆スラム」を再開発したものだという。
その名の通り原爆で家を失った人々が集まったもので、やがて復興に伴う再開発などでやはり住む場所を失った人々もやってきた木造家屋の密集地帯だったという。
今ではその団地とともに広島中央公園や各種の公共施設になって、当時の面影は全く無いが、こういうところにもこの街の復興の様子について思いを巡らせた。

1970年代に建設された高層住宅群は、人工地盤や屋上庭園などモダニズム建築の理論が存分に盛り込まれていて、商店街や学校などの施設も集約されている。
おそらくモダニズム建築の祖であるコルビュジェの集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」を国内では最も忠実に再現しようとしたものに見えるが、ここも少子高齢化が進んでいて、商店街もシャッター街のようになっていた。
ここも含めて平和記念公園や平和記念聖堂など現代建築史的に重要なものが数多く集まっているが、その実際についても色々と考えさせられる。

団地から少し歩くと広島県庁で、ここも1950~60年代らしい典型的なモダニズム庁舎建築などで周りを歩いてカメラに収める。
また少し歩くとここは中心地の紙屋町のバスセンターなど。
このように都心部は非常にコンパクトにまとまっているという印象(市役所は少し離れているが)。

紙屋町の地下街で昼食にして再び平和記念公園を訪れる。ここでようやく平和記念資料館を見学することに。
本来なら真っ先に見学すべきなのかもしれないが、今回はせっかく長期間滞在することができたから、ある程度の土地勘や距離感、地理条件などを把握してから見にいくのがより理解が深まるだろうと考えていた。

本館の改修工事の影響や修学旅行生などでごった返していて、ゆっくり見て周るのはなかなか大変ではあったが(それでも14時くらいから17時の閉館時間ギリギリになってしまった)、その中から気になった展示品をいくつかカメラに収める。
個人的に銘記しておきたいキーワードとしては「写真」、「8時15分という時間」、「戦前戦後広島の発展」といったところ。
特に最後のテーマについては、昭和4年と昭和26年の市街地地図のセットが売店にあったので、それを買い求めてあれこれと見比べている。
見学を終えると小雨。でも傘をささなければならないほどではない。

とはいえ、もう街を撮り歩く気にもならなかったので、公園から少し歩いて本通から「アストラムライン」という新交通システムに乗る。
都心部は地下を走っているので、札幌の地下鉄のようだが、高架に上がるとずっと住宅地の中を進む。
終点に近づくにつれてだんだんと寂しくなってくる。乗客もあまりいない。終点の一つ前の大塚駅で降りる。
駅の前には田んぼが広がっていて、どうしてこんなところに電車を通したのだろうという気持ちになる(住宅地などはもっと山奥にあるらしい)。

この辺で日没も迎えて、また冷たい雨も相まって、非常に物寂しい印象だ。帰りはバスで都心に戻ることにする。
アストラムラインだと都心から1時間弱かかっていたが、バスは都市高速のトンネルを抜けてあっという間。
終点の紙屋町バスセンターまで乗り通す。再び紙屋町周辺で夕食。

そのまま歩いて帰ろうと思ったが、(本来の)爆心地である「島病院」の前を偶然歩く。
その名前は聞いたことがあったが、案内看板が無いと気づかないようなちょっと中通りといったところにある。

そのまま平和記念公園を抜けて部屋まで歩いて帰る。
身体も冷え切っていたし、溜まりつつあった洗濯物もどうにかしたかったので、部屋の近所にある「土橋温泉」というコインランドリー併設の銭湯に行きたいと思ったが、残念ながら日曜定休。歩いた距離は12.9km

 

 

2018年2月26日(月)

この日は広島を少し離れて呉に行くことに。まずは電車で横川駅に出てJRで呉駅まで。途中の向洋や海田市の街も気になる。
海岸線に沿ってカーブをいくつも過ぎると40分ほどで呉に。
車中で帰りの高速バスのチケットを予約したので、まずは駅前のコンビニで支払い。

さて、駅に降り立ったはいいが、特にどこを歩くというのは何も決めていない。
駅前の観光案内板を眺めると、「両城の200階段」というのが、駅からも近いし、港を一望するのにちょうど良さそうなので、ここを目指すことに。

しかし、近づいてみると断崖絶壁に階段(のようなもの)が張り付いていて、進むのを一瞬躊躇したし、また少し登ってみたらあまりの急さに息を切らせて若干の後悔もしたが、こうなったら一番上まで上がらなければという気持ちにもなる。
少しでも足を踏み外したら、数百メートルを真っ逆さまに転落してしまいそうな石段だが、こんな道にも家屋はしっかり続いている。
郵便配達などはどうしているのだろう。元々少ない平地は造船所や軍用地になっていて、戦前の呉の急激な発展に対応するためこうした斜面に無理やり家を建てたためだというが、やはり無理があったのか現在は空き家も多いし、更地にされた跡には住居には不適であるとの看板も建てられていた。
しかし、頂上からの眺めは見事なもので、街と港湾の様子が手に取るように分かる。
それだけでこの急な階段を登る価値はあると思うが、別ルートを使えば幾分かゆるやかなようだ。

坂を下りて、少し町も撮ってから呉港へ。
フェリーターミナルに行くと、ちょうど1時間後くらいに広島行きのフェリーがあるようなので、それに乗ることに。
あとは呉港にあった自衛隊の博物館を少し見たくらいで、呉はそれだけになってしまった。

ただ、フェリーに乗ると港の様子がよく分かる。離れゆく岸壁をデッキからしばらく眺める。
さすがにずっとデッキで風に当たっていると肌寒くはなるが、瀬戸内海は非常におだやかで、江田島や似島などに囲まれるように進むのでむしろ大きな川のような印象だ。
そして船の交通量も非常に多い。およそ1時間弱で広島宇品港まで。もし時間が許せば似島や江田島なども訪れてみたかった。

フェリーターミナルには電車乗り場が接着しているので、すぐに電車に乗り換えてとりあえず広島駅方面へ。
途中には学校がいくつかあるので、下校時間で結構混み合っている。なんとなく比治山下で降りる。
比治山から街を眺められるかもしれない。さっそく山を登るが、これがそれなりの勾配がある鬱蒼とした低山。
今日は山に登ってばかりだ。途中、マツダ創業者松田重次郎像などを見る。
展望台とされる場所に出てみるも、樹木が鬱蒼としていて、期待していようには街を見られなかった。

そして、比治山の山頂には放射線影響研究所の建物がある。
アメリカ風のカマボコ型の兵舎のような建物が1950年に建てられた当時のままになっている。
この「放影研」はかつてABCC(原爆傷害調査委員会)と呼ばれていて、治療行為は行わず、非常に非人道的な方法で被爆者の調査を続けていたという。
そもそも原爆投下そのものが非人道的な人体実験に他ならないのではあるが。
今では鬱蒼とした木々に遮られてはいるが、建設当時市民に感じられたように、この比治山の上から今に静かに広島の街を見下ろしている。

エスカレーターで比治山を降りて、段原という街へ。古くも新しくもない、でも子どもの姿がやたら多い何ということのない住宅地だが、こういう場所も妙に面白かったりする。
写真を撮ることを考えず、ただ歩いていればいいという気持ちがあるからかもしれない。

しばらくするとマツダスタジアムへ行き着く。入口の前では結婚式の「前撮り」をしているカップルがいる。
また何のイベントかは分からなかったが、テントを張って行列を作っている人々がいる。
この当時、札幌では日本ハムファイターズのボールパーク構想で大きく揺れていたので、このマツダスタジアムという先行事例から「ボールパーク」というものを一度見ておきたいと思っていた。
スタジアムはもちろん、周囲の街や広島駅へのルートを含めて、広島東洋カープの歴史や選手などがよく分かるような工夫が多くされていて、試合はもちろん、入場前の行列に並んでいる時もあまり退屈しないのかなとも思った。

そもそも市民球団というカープの成立や、企業・行政などの理解や、熱狂的なファンの愛着を、他の球団、特に北海道と比べてはいけないのかもしれないけど、これから北海道にもボールパークが作られるのだとしたら、関係者が協調してみんなに愛され、誇りを持つことができるものになればと思う。

帰宅時間になり人が出始めた広島駅に出て、すぐ近くにある飲食店街を歩く。
昭和20~30年代に建てられた木造建築が主で「エキニシ」と言われているらしい。
その立地や家賃などの条件のためか、昔から続いている店の他に若い店主によるものと思われる今風の洒落れた飲食店も多い。
しかし、その木造密集が仇となったのか少し前に火災があったらしく、まだ新しい仏花が備えられていた。
どこで夕食にしようかしばらく考えたが、その中にあるいかにも古そうなお好み焼き店にする。半世紀近く続いているという。

何となく飲み足りなかったので、本通まで歩いてサイゼリヤで安いワインを少し飲む。これで広島の夜も終わり。
色々と出歩いて、土地勘もある程度掴めたとは思うが、もっと見ておきたい場所もまだ沢山あった。
平和記念資料館の改修が終わる頃にでもまた訪れたいと思う。歩いた距離は15.6km

 

 

2018年2月27日(火)

6時47分の新幹線に乗ることにしていたので、スーツケースもあるしタクシーで駅に向かおうかと思っていたが、うまく予約が出来なかったので、結局6時頃の初電に近い電車で広島駅まで。
電車は5:30過ぎから動いているらしい。混んでいるというほどではないが、それなりの乗客数。
結局思っていたよりも時間がかからずに広島駅に到着。

あまり感傷に浸るまもなくすぐ新幹線に乗って小倉で降りる。
帰りのバスまであまり時間もなかったし、もうどこかを撮り歩きたいという気持ちも希薄だったが、直方というところに行ってみたいは思っていたし、折よく直方行きの在来線が来たのでとりあえず乗り換える。
運転台の後ろから線路を撮っていると、青年に声を掛けられる。大分からやってきた大学生でいわゆる「撮り鉄」。
実はJRの細かい形式のことはよく分からないが、自分の故郷のことなどしばらく会話をする。
思えば人とまともに会話をするのも久しぶりだった。途中の中間市あたりで別れて、自分は終点の直方まで。
今回訪れた若松や折尾の駅もそうだったが、JR九州管内は様々な駅で新築工事が行われていてこの直方駅も真新しい感じであった。
しかし、駅前は非常に閑散としている。もしかするとここも中心地は郊外バイパス沿いに移っているのかもしれない。

早くも帰りまでの時間も少なくなってきたので、JR直方駅と筑豊直方駅の間にある寂れた商店街をやや駆け足気味に抜けて、遠賀川(おんががわ)河川敷を見る。川にかかる鉄橋には路面電車タイプの電車がやってくる。

この筑豊電鉄の電車に乗ってすぐに北九州に戻る。
先程の鉄橋を越えてはじめは田畑の中を走っていたが、終点黒崎に近づくにつれて街らしくなってくる。
普通の鉄道のような線路を路面電車タイプの車両で飛ばしていくのも面白かった。
黒崎の街も見たかったが、高速バスの時間も迫っていたのですぐにJRで小倉駅に戻ってバス乗り場へ。ほぼ乗り鉄のみの半日であった。

バスは小倉駅前を出て、北九州都市高速・九州自動車・福岡都市高速を経て福岡空港まで1時間半ほど。
特に福岡市に入ってからは都心部も通ったので、もし次来ることがあればどうしようかななどと色々と考える。
到着口近くにあった物寂しいうどん屋で昼食にして(すぐ上に充実したフードコートがあることを知ったのは後のこと)、コーヒーを飲んでから搭乗。
行きと比べて帰りの新千歳までは所要時間もだいぶ短かったように思う。

新千歳に降りるとまた銀世界。いつも旅行に行くのは冬が多いせいか、ほっとするようなうんざりするような、毎回なんとも言えない気持ちにさせられる。
あとは高速バス、路線バスを乗り継いで札幌市南区の自宅まで。歩いた距離は6.3km。
殆ど移動しただけだが、それなりには疲れていて、ようやくゆっくり寝られそうだ。

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